人は、生活の必要に発して、何かの偶然で勤務先に出合い、職務上の理由ではなく、個人的な好みで決断すると考えるのが自然である。個人的な好みとは、勤務先の所在地、知名度、事業の安定度などであり、自分の得られる処遇等の条件である。要は、人は自分のために働くのであって、そこに職務上の動機を仮構するのは、多くの場合、雇う側にとっても、雇われる側にとっても、自分の決断を合理化するための方便にすぎないであろう。
働くことが企業に勤めることになるとき、生きがいと働きがいが一致することは稀で、人は、多くの場合、単に生活の資を得るために働くのだから、雇う側を中心にした人の採用という発想は、人は企業に属すべきだということを前提にしたものとして、そもそも、おかしいのであって、むしろ、全く逆に、人が自分の生活の都合で企業の提供する職務を採用するのである。
実は、このように考えない限り、企業の立場からの選考基準が定まらない。なぜなら、職務が明確に定義されているからこそ、定義された職務に対する人の適性を論じ得るからである。また、職務が明確に定義されていることは、働く人にとっては、職務を選択する際の便宜であり、企業にとっては、組織構造の合理化の前提である。
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森本 紀行 HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長 HC公式ウェブサイト:fromHC twitter:nmorimoto_HC facebook:森本 紀行
提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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