人は、当然のことながら、自分のために働く。企業や官庁のような組織は、人は自分のために働くことを前提とし、その働きの集積が全体として社会的付加価値を創造できるように、構成員の働き方を動機づける体系である。組織による統制が必要なのは、各自が勝手に自分のために働くよりも、組織を通じて働くほうが創造される付加価値が大きくなるからで、これが分業の原理である。
分業の原理のもとで、人は与えられた役割への貢献を求められる、つまり組織への貢献を求められる。本来は、人が先にあって、人が組織を作るのだが、組織ができれば、組織が人を支配し、組織が人に対して組織のために働くように強制する。こうして、人は自分自身の手で自分自身に対峙する他者を作り出す、これが人間の疎外と呼ばれる現象で、この疎外のもとで、組織が先にあって、組織が人を雇うという倒錯が生じる。
その倒錯のもとでも、人は勤務先を選択する自由をもつはずである。勤務先を選択する段階において、組織のために働くことを目的とする人はあり得ない。しかし、だからといって、社会に貢献したいと思って、組織に入ったかは大いに疑問であって、そもそも、原点において職務上の自覚的な動機があったと考えるのは不自然である。