三島にとって、日本国憲法とはこの連環に打ち込まれた楔であった。「菊」と「刀」の間に立ちはだかる「番人」であった。本来「菊」を守らなければならない「刀」は今やその「番人」を守る存在となってしまった。しかも、その「番人」は「刀」の存在を正式には認めていないにも関わらず。

問題は、隣国に侮られながら日本がいつまでこのような状態に甘んじているかだ。岸田総理はことあるごとに憲法改正を口にしてきたが、今の政治には何の光明も見い出せない。「戦後日本の番人」によって最も守られてきた政治に一体何が期待できようか。そんな期待は端からパラドックスであり、三島は笑い飛ばすであろう。

「戦後レジームからの脱却」と「憲法改正」を目指し、一時は国会の3分の2の勢力を確保した安倍政権でさえ、ついにこの番人の交代はおろか、これに「刀」の存在を認めさせることすらできなかった。これも、そのパラドックスによるものであろう。安倍晋三が目指した「美しい国」と三島由紀夫が説いた「文化防衛論」には通じるところがあり、これらは「戦後日本の番人」への最大級の挑戦ではあった。

だが、三島が生命よりも価値あるものを世界に示した日から53年経った今も、日本は未だ如何ともしがたい閉塞感に覆われている。そんな事をまた考える11月25日であった。そろそろ美学と美意識を取り戻す時ではないか。

橋本 量則(はしもと かずのり) 1977(昭和52)年、栃木県生まれ。2001年、英国エセックス大学政治学部卒業。2005年、英国ロンドン大学キングス・カレッジ修士課程修了(国際安全保障専攻)。2022年、ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)博士号(歴史学)取得。博士課程では、泰緬鉄道、英国人捕虜、戦犯裁判について研究。元大阪国際大学非常勤講師。現在、JFSS研究員。 論文に「Constructing the Burma-Thailand Railway: war crimes trials and the shaping of an episode of WWII」(博士論文)、「To what extent, is the use of preventive force permissible in the post-9/11 world?」(修士論文)

編集部より:この記事は一般社団法人 日本戦略研究フォーラム 2023年11月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は 日本戦略研究フォーラム公式サイトをご覧ください。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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