研究員 橋本 量則
11月25日にこの筆を執っている。53年前のこの日、三島由紀夫は陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地において、所謂「三島事件」を起こし、割腹自決によりこの世を去った。当代きっての文学者が引き起こしたこの事件は当時の日本社会を揺るがした。勿論、その行動に対しては賛否両方の声が上がった。
双方それぞれに立場や信念があり、その良し悪しの判断をここでするつもりはないが、三島が最後に残した言葉にもう一度耳を傾けて、三島が事を起こすまでに懸念し続けていた我が国の未来が一体どのようなものになったか確かめてみるのも、今を生きる我々に残された大事な課題ではないか。
三島は東部方面総監を人質に取った後、総監室外のバルコニーで演説を行い、自衛隊員に決起を促した。そこで三島は次のように訴えた。
生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。もしいれば、今からでも共に起ち、共に死のう。
確かに軍人というものは、自らの生命を差し出して、「別の何か」を守るのが職務である。その「別の何か」にはいろいろあろうが、いずれの場合も自らの命より価値があるものと認められるものでなくてはならない。
では、そのような価値あるものとは何か。これについては、価値観は人それぞれであるから断言するのは憚られるが、少なくとも他者の生命、そしてその集合としての共同体全体、およびその魂(精神)としての歴史・伝統・文化ということになろう。
こう考えると、経済的利益を守ることは精神性の観点から見れば価値が下がると言わざるを得ない。それが特定の誰かの利益に限られるとすれば、なおさらである。勿論、国民の生活がかかっている国民経済を守ることは経国の大業であるが、経済的利益の追求のために武人が命をかけることなどあり得ない。
三島の檄文の中には次のようなくだりがある。
われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただ誤魔化され、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。
敗戦により、政治家を含め我々国民は、戦後復興を成し遂げるため、ひたすら経済的繁栄へと邁進し続けた。そして多くの成果を手にした。が、しかし、それと引き換えに日本の美徳、それを支える美意識を失ってきたのも事実である。その最たるものが武士道である。「美しい日本」を支えてきた精神は今や消えかかり、残るのは経済優先の「卑しさ」「醜さ」だけとなる。三島は事件の4ヵ月前、産経新聞に随想を寄稿したが、その中に次のような言葉があった。
このまま行ったら日本はなくなって、その代わりに、無機質の、からっぽな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう
日本の現状は、この三島の予言通りになっていないか。否、経済大国の地位すら危うい現状では、より事態は深刻かもしれない。歴史・伝統・文化に留まらず、自慢の経済までも失ってしまったら一体何がこの国に残るというのか。今の日本は、まさに無機質で空っぽのただの国ではないか。
これが誰の責任であるかを問うことは難しい。戦後日本の歩みが行き着いた先がこの現状であるからだ。だが、「戦後日本の番人」として君臨してきたものは明かである。「日本国憲法」である。三島の苛立ちは誰もこの番人と刺し違える覚悟で向き合わないことにあった。三島は、この番人が認めていない自衛隊にその役割を期待した。だが、国家公務員としての自衛隊員には憲法を遵守する義務がある。故に、三島は檄文の中で「自らを否定するものを守るとは、何たる論理的矛盾であろう」と述べたのである。
三島は自身の論稿「文化防衛論」の中で、「菊と刀の連環」という考え方を示している。「菊」は文化すなわち天皇であり、「刀」は武つまり軍隊のことである。自らを守る術を持たない「菊」を守るのが「刀」の役割であり、「菊」は「刀」に最大限の名誉を与え、これによって両者は一体となる。この文武の融合なくして国は守れない。