昨年『「逆張り」の研究』を刊行された綿野恵太さんと、ブックファースト新宿店で対談イベントやります。2/23(金・祝)の14:00~で、申し込み方法等はこちらから。

私も昨年出した『危機のいま古典をよむ』とのジョイント企画で、タイトルはずばり「古典をよむのは『逆張り』ですか?」です(笑)。

綿野さんとは、デビュー作だった2019年の『「差別はいけない」とみんないうけれど。』の増刷時に帯を書かせていただいて以来、なにかと縁がありました。当時の帯がいまも書店で手に入るかわからないので、文面を再録しておくとこんな感じです(他の推薦者は、千葉雅也・増田聡・梶谷懐の各氏)。

「意識の高い俺ら」で結束して充足感を得る人たちが、ネットで反差別を振りまわす際に放つ屍臭の正体を解剖。同じ瘴気に当てられる前に、なにより反発して差別者になってしまう前に、接種必須の「読むワクチン」の誕生!

いま振り返ると、2つ大事なポイントがありますよね。1つは、ここで「屍臭」「瘴気」と呼んでいるものこそ、要は、自分は「順張り」をしていると思い込む独善的な精神だということ。

反差別の運動は、みんなが長らく自明の前提だと思ってきたことに対して「いやいや、それは差別なんですよ」と主張するところから始まる。その意味で、あらゆる反差別は定義上「逆張り」から出発します。そして遠い将来には、自分としては反差別だと思って行った主張が「残念ながら、それもやはり差別だったんですよ」として、新たな逆張りに晒されないとも限らない。

ところがいまのネット社会で目立つのは最初から、かつ永遠に自分が「順張り」だという態度で、反差別を云々する人たちです。こう主張すれば仲間に入れてもらえそうという目星をつけ、頭数を十分確保した上で、その集団の内側でのみ「うおおおお俺たちは『順』! うおおおおお批判するやつは『逆』!」と叫び続ける。要はニセモノですね。