黒坂岳央(くろさか たけを)です。

昭和・平成までは「先に手を出した方の負け」と言われていた。コミュニケーションにおいて相手にどんなに腹を立て、声を荒げたとしても暴力に出たら社会的敗北は必至という意味である。しかし、この標語はもはや過去のものだ。令和という現代は「キレたら負け」という不文律なルールへと明確に変わったと感じる。

「キレる」というのは、暴力を振るわなかったとしても、声を荒げたり拳を振り回して威嚇する行為が超えてはいけないラインとなる。大きく冷静さを欠き、不満の感情に暴力的な色彩が帯びた時点でレッドカードが突きつけられるだろう。

令和時代に「人前でキレる」と恐ろしいことになる
(画像=Atstock Productions/iStock、『アゴラ 言論プラットフォーム』より引用)

時代は大きく変わったことを理解し、我々は振る舞いや意識を変える必要性が問われている。

信用社会で信用を失う恐ろしさ

この文章を読んでいるほぼすべての方は、信用社会に身をおいているはずだ。信用社会とは、個人のパーソナリティやスキル、所属団体に対して信用が付帯して等価値交換が行われることを意味する。信用を担保に買い物や借金ができる、クレジットカードには「Credit(信用)」という名称が付けられていることからも分かる通り、ビジネスや人間関係を成り立たせる上で「信用力」は極めて大きなファクターだ。

大げさなようだが、この社会で生きていく上では信用なくして何もできない。信用がなければ、起業しても誰もビジネスを利用してくれず、企業で働く上でも採用には至らない。結婚をしたいと思っても、信用がない人物には寄り付かないだろう。一度でも犯罪に手を染め、禁固刑となって信用を失えば、出所後の人生においてどれほど厳しくなるか?それを想像して頂ければ、信用社会で信用を失う恐ろしさが理解できるはずだ。

キレる人は信用を失う

そんな信用社会において、大事な信用を失墜させる行為の1つが「キレる」である。従来から信用が重要である、という点は変わらない。だが、令和時代からは昭和や平成までと勝手が違うと個人的に思っている。

今の時代、ビジネスマンがキレたら今どき、パワハラとして認定されてしまう。「指導の域だった、で通せるだろう」と高をくくり、ストレス解消に部下に強くあたっている上司は、自身が恐ろしいリスクに晒されている事実を正確に理解していないだけだ。パワハラとして告発されてしまった時点で、その企業での昇進は困難、周囲の目も冷ややかなものとなるからだ。キレた本人は感情爆発をさせてスッキリしたというメリットを享受しているかもしれない。だが、その天秤の反対側にあるリスクの大きさは、到底メリットの割にあうものではないのだ。

そして、令和時代が昭和や平成と明確に違うのは、多くの人が高機能なスマホを持ち、SNSをカジュアルに使っている点である。一度でも公の場でキレてしまうと、その様子を録画か録音され、SNSに流されてしまえば決定的に厳しい立場になってしまう。会社内でキレてパワハラの様子を記録、オンラインに公開されれば決定的に厳しい立場に置かれる。たとえ、キレた本人のプライバシーが保護されていても、勤務先が特定され、視聴者からのクレームが入ることは避けられない。そうなれば、社内で犯人探しが始まるだろう。その末路は極めて厳しいものであることは、容易に想像できてしまう。

過去において、政治家が秘書などにキレてしまうことがあった。その様子を動画サイトやSNSに公開されたり、週刊誌が報道した結果、彼ら/彼女らの政治家生命が完全に絶たれたケースは何度も起きている。オンラインにデジタルタトゥーとして刻まれた場合は、削除はほぼ絶望的になる。その人物の名前で検索をすると、過去の過ちが必ずついてまわる。信用社会を生きる上で、これはとてつもないハンディキャップになるだろう。

キレる人はシンプルに信用を失う。それ故にたとえ理不尽な怒りを感じても、冷静さを保つ必要がある。キレてしまった時点で、問答無用で自分が悪くなってしまう。