『ジュリア』で助演女優賞にノミネートされたヴァネッサ・レッドグレーヴが ”The Palestinian” (『パレスチナ人』)と題する記録映画を製作して「パレスチナ人民と反ファシストのために戦う」と政治的発言をしていたため、75名ほどのJDL(ジューイッシュ・デフェンス・リーグ)のメンバーが抗議のためのデモをすれば、PLOのグループ約200人も「ヴァネッサとアラファト」と書かれたプラカードを掲げて集まっていたのである。ヴァネッサはガードマンにしっかり護衛されて〔レッドカーペットではなく〕非常口から入場するありさまだった。 (中 略) のっけから問題の助演女優賞の発表であり、しかも封筒から出てきた名前はヴァネッサだった。ヴァネッサが「世界のユダヤ人の汚点であるひと握りのシオニスト暴力団のいやがらせに屈せずに私を選んでくれたことに感謝します」と語ったとたんに激しいブーイングとわずかの拍手が起こり、彼女は「反セミティズム〔ママ〕、反ファシズムの闘士として戦い続けることを誓います」としめくくった。 客席では『ジュリア』の共演者で主演女優賞候補のジェーン・フォンダがじっと見つめている。学生連合の元リーダーである夫トム・ヘイドン、2人の子供と出席しているジェーンの思想的立場はちがっているが、ヴァネッサを敬愛していた彼女は娘にヴァネッサと名づけているのである。
筈見有弘・渡辺祥子監修『アカデミー賞記録事典』 キネマ旬報社、2013年、292-3頁 強調と〔 〕内は引用者
「反セミティズム…の闘士」だと反ユダヤ主義の闘士という意味になるが、実際の映像での発言は ”fight against Anti-Semitism and fascism” で、もちろん「反ユダヤ主義やファシズムと戦う」が正しい。JDL(ユダヤ防衛同盟)は、極右と呼ばれることもあるイスラエル支持の最強硬派。
アラファトはPLO(パレスチナ解放機構)の議長で、1993年にはイスラエル首相ラビンとオスロ合意に調印するが(翌年に共同でノーベル平和賞)、当時は中東の「テロリスト」の元締めと見なす人も多かった。ハマスは、この後年のアラファトらの穏健化を批判して台頭した過激派である。
上記引用の続きによると、受賞が判明するや抗議者の一部が暴徒化。「ヴァネッサは殺人者だ」と書かれた人形に火をつけ、場内への突入を試みるなどしたため、500人が動員されていた警官隊と衝突。JDLのメンバー5名が逮捕され、警官ら3名が負傷したという。政治的に発言することが、単なる「カッコつけ」ではなく命懸けの時代だった。
受賞作の原作者である戯曲家リリアン・ヘルマンは、ハードボイルドの推理作家ダシール・ハメットと事実婚の関係だった。夫婦ともに共産主義のシンパであったとされ、第二次大戦後の赤狩りでは迫害に遭ってもいる。
『ジュリア』は主人公のヘルマンが、反ナチスの抵抗運動に挺身する旧友(同性愛的な関係も示唆されている)を支援する物語で、レッドグレーヴはドイツ国内で活動するレジスタンスを演じた。なかなか本人が画面に姿を見せず、再会が叶うのかを不明にして焦らす演出だが、登場した瞬間の「きっと、本当の闘士とはこういう人だろう」と思わせる迫力に息を呑む。
そうした役柄を演じていても、パレスチナへの支援を表明しただけで「キャンセル」されかける空気が、今より一層色濃いものとして1978年にはあった。ちょうど第四次中東戦争と、イラン革命の狭間の時期である。
私たちの自由な社会を作り守ってきたのは、そうした状況に臆せず発言を続けた人びとでした。「キラキラしてそう」に見えた間だけダイバーシティやポリコレをSNSで振り回し、情勢が変わるや口をつぐんで言い逃げする見かけだけの人たちは、その後継者ではまったくないのだということを、何度でも思い返す必要があると思います。
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年3月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。
提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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