人生の選択はもちろん個人の裁量ですが、余命からみる定年は75歳まで引き上げても良い気がします。もっとも北米のように定年という明白な仕切り線を作らず、自分の判断で50代でFIREしても良いし、死ぬ前日まで仕事をしてもよいでしょう。年金設計であるひとが元気に活動し、判断能力を備えているという前提が死ぬ5-10年前までだとしたら75歳という目安は悪くない考え方かもしれません。
健康維持が日本人の間では特に意識されていることは重要です。私は医者から言われたこともあり、アルコールはたまにしか飲まなくなりましたが、慣れてくると気にならなくなりました。砂糖の塊だったクッキーを低血圧の私が目覚めるために朝食代わりにしていたものをオートミールに変えた時は「人生の末期」かと思いました。それぐらい不味かったのをいろいろ工夫をして最近は普通に食べています。
今、哲学の本を読んでいるのですが、スマホに縛られて、ぼっとする時間が無くなった現代社会という著者の主張に自分は一日のうち、いつ自分だけの誰にも邪魔されない時間を謳歌しているかと考えたのですが、ありました。1時間フィットネスをしている時です。特にトレッドミルの上で30-40分ほど走るのですが、好きな音楽を聴きながら走っている時、ひたすらいろいろなことを考え巡らしています。つまり足は駆け足、頭は思想に没頭するわけです。一石二鳥ですね。
定年退職後も自分に刺激を与え続ければよいわけでそれは趣味でもよいし、アルバイトでもよいし、人との接触でもよいでしょう。私のようにブログを書くのはインプットした情報や日々の出来事、考えたことをまとめるという意味で極めて有効な脳の刺激になると思います。普通、自分でテーマを決めて白紙の上に文章を書くのは相当大変だと思います。コメントは楽なのです。誰かのネタにちゃちゃを入れるだけですから。白紙の紙を前に原稿用紙3枚、毎日、1時間以内で書く癖をつけるのもまた乙なものです。
それを「かったるい」「それをして何になる」と言われればそれまで。そして定年後の生活はだれも強要しないのです。だれもルールも決めないのです。午前中ずっと寝ててもいいし(老人には寝るチカラがなくなるので不可能なことですが)、パチンコや麻雀でもいいのです。死ぬ前日に「俺の人生」を垣間見た時、「ありがとう」といって永眠できるかその価値観と満足感だと思います。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年2月11日の記事より転載させていただきました。
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