友情に訴える論証

Appeal to friendship

ある人物に対する友情を根拠にその人物にとって利益となる言説を肯定する

<説明>

「友情に訴える論証」とは、【友情 friendship】を根拠にして、【友人 friend】の利益となる言説を無批判に肯定するものです。

人はしばしば他者に対して好意を抱きます。その行為を受けた他者は、行為を送った相手に好意で報いようとします。これが【返報性の原理 norm of reciprocity】と呼ばれるものであり、好意の返報を相互に返し合うことで友情に発展し、友人となります。友人は互いの幸福を望みます。

ここで、注意しなければならないのは、友情を根拠として真偽を判断する「友情に訴える論証」は、妥当な論証ではないということです。友情は友人の言説の真偽とは無関係であり、友人の偽説を否定することは友情を裏切ることにはなりません。むしろ友人が偽説を改めるよう導くことは友人の幸福に資するものです。

誤謬の形式

A氏には友情を感じているでA氏にとって利益となる言説は真である。

<例>

<例>

A:友達なら、僕の意見に賛成してくれ。 B:当然だ。君の言っていることは正しい。君は友達だ。

誤った返報は必ずしも倫理的行動とは限りません。友人を更に窮地に追い詰めて不幸にすることも考えられます。返報する場合には、感情ではなく論理に基づいて友人の真の幸福につながるよう行動することが重要です。

<事例1>東アジア共同体

<事例1a>『論座1996年6月号』

鳩山由紀夫議員(民主):リベラルは愛である。私はこう繰り返し述べてきた。ここでの愛は友愛である。友愛は祖父・鳩山一郎が専売特許のようにかつて用いた言葉である。自由主義市場経済と社会的公正・平等。つきつめて考えれば、近代の歴史は自由か平等かの選択の歴史といえる。自由が過ぎれば平等が失われ、平等が過ぎれば自由が失われる。この両立しがたい自由と平等を結ぶかけ橋が、友愛という精神的絆である。