ところで、シリアのアサド政権と反体制派間の戦いは「内戦」であり、ウクライナのロシアとの戦いはとは明らかに「戦争」だ。「内戦」と「戦争」には相違がある。換言すれば、前者は身内同士の戦いであり、後者は隣人(隣国)との紛争だ。その戦闘の規模も範囲も異なっている。
「内戦」といえば、バルカン半島で展開されたボスニア・ヘルツエゴビナ紛争だ。クロアチア系、セルビア系、そしてイスラム系の3民族間の内戦だった。ボスニア紛争は死者20万人、難民、避難民、約200万人を出した戦後最大の欧州の悲劇だった。1995年にデートン和平協定が締結されて戦いは終わったが、現状は民族間の和解からは程遠く、『冷たい和平』(ウォルフガング・ぺトリッチュ元ボスニア和平履行会議上級代表)の下で、民族間の分割が静かに進行している。ぺトリッチュ元上級代表は当時、「ボスニア紛争は内戦だった。外部の侵略を契機に始まり、勝利者と被占領者に分かれる戦争とは異なり、内戦には勝者はなく、敗者しか存在しない」と語っていたことを思い出す。
シリア紛争も「内戦」という点でボスニア紛争と酷似している。ボスニアでは3宗派間の民族紛争であり、シリア内戦も「政治的宗派主義」(フランスの中東問題専門家ピェール=ジャン・ルイザール氏)を根底とする宗派間の戦いがあった。「内戦」ゆえに、戦いが終わったとしても住居を変えることはできない。身内同士の戦いだからだ。相手の顔をみれば、傷跡が疼く。その点、「戦争」は勝利者と敗北者はより一層明らかになる。勝利国は敗戦国に領土や何らかの政治的譲歩を強いる。そして戦争当事国は最終的には外交ルールに従って共存の道を模索していく(「中東『政治的宗派主義の崩壊』とその後」2024年12月7日参考)。
ウクライナ戦争を見てみる。ウクライナとロシア間にはシリアのような「政治的宗派主義」の影響は薄い。両国は民族が異なるが、基本的には正教会だ。身内同士の戦いの「内戦」ではなく、隣人(国)との戦争だ(ウクライナ正教会はロシア正教会モスクワ総主教の管轄から離脱し、独立正教会となっている)。