「泣いて馬謖を斬る」の由来

「泣いて馬謖を斬る」がなぜ厳しい処罰を下す意味になるの?その由来をご紹介!
(画像=『FUNDO』より引用)

ここからは「泣いて馬謖を斬る」の語源について見ていきましょう。

由来は三国志に出てくる諸葛亮の逸話から

「泣いて馬謖を斬る」は三国志「蜀志(馬謖伝)」の故事から来ています。

中国の三国時代、蜀と魏という国の大きな戦がありました。
その際、蜀では諸葛亮が配下の馬謖を重用していました。
しかし、馬謖は諸葛亮の命令に従わず、魏に大敗してしまうのです。

もともと諸葛亮は馬謖を大切に扱っていました。
ただ、命令に反したにも関わらず許すわけにもいきません。
そこで諸葛亮は泣きながら馬謖を斬罪に処したのです。

そんな逸話から生まれたのが「泣いて馬謖を斬る」という言葉です。
転じて泣く泣く決断することを「泣いて馬謖を斬る」と表現するようになったのだとか。

諸葛亮が泣いた理由は「三国志」と「三国志演義」で大きく異なる

馬謖を斬る際、諸葛亮は泣いたとされています。
しかし、なぜ泣いたのかは故事によって解釈が違ってきます。

「三国志」では諸葛亮が「馬謖のために涙を流した」と書かれています。
つまり、軍律を守る為に愛弟子を処刑することになり、彼のことを思って諸葛亮は泣いたとされているのです。

しかし「三国志演義」では「馬謖のために泣いたのではない」とされています。
劉備に「馬謖をこき使ってはならない」と言い遺されていたにもかかわらず、その言葉を守らなかった自分を嘆いて泣いたそうです。

これらはどちらが正しいのかは不明です。