気になるのが3年前、マツダに対して公正取引委員会が下請法違反で勧告したときに、この問題を日産はどう捉えたか、である(そもそもマツダはもっと前にも同法違反の問題を指摘されている)。コンプライアンス部門はマツダだけの問題ではなく、自社の問題でもあり得るとは考えなかったか。もちろんだからといってすぐに取引慣行を変えることはできないだろうが、公正取引委員会がアクションを起こすその前段階、準備段階で何らかの対応ができていれば、多少結末も変わったからもしれない。

現場レベルで過去から取引慣行として受け継がれてきたものを、現場で大きな支障が生じない限り、自分が担当のときに変えるという動機をその担当者が持つことはほとんどない。気付いたとしてもそれを止めればこれまでできたことができなくなるので、それを他の手段で埋め合わせる必要が出てくる。

現実と向き合ったときにその選択肢しかないと分かれば、前例踏襲になる。そもそもそのような問題に気付こうともしないであろう。引き継いだものをそのまま行い、次に引き継ぐというのが一番楽だからである。どこにコンプライアンス上のリスクが潜んでいるか、と考えながら、疑心暗鬼になって業務を行なっては身がもたない。現状維持のバイアスはコンプライアンスの最大の敵であるが、「法令の知識」の有無で話が終わってしまうようでは、このバリアに跳ね返されてしまう。

時事通信は日本商工会議所の小林健会頭の発言を以下のように伝えている(「日産の下請法違反「極めて遺憾」=経営トップ自ら説明を―日商会頭」)

日本商工会議所の小林健会頭は7日の記者会見で、日産自動車が下請け業者に支払う納入代金を不当に引き下げたとして公正取引委員会の勧告を受けたことについて、「極めて遺憾なことだ」と述べ、強く批判した。

小林氏は、下請法違反は購買担当者だけの責任ではないとの見方を示した上で、防止するためには「経営トップが関与しなければ駄目だ」と指摘。日産に対し、「トップが出てきて説明する責任がある」と訴えた。

「経営トップが関与しなければ駄目だ」というが、どう関与するのか。その関与もお座なりのものになってしまえば意味がない。

コンプライアンスで一番愚かなのは法令を守るために「あれもこれもだめ」という極端な反応をしてしまい、実際には適法で、かつマーケティング上重要な活動まで抑制してしまう事態を発生させることである。しかし一方で、経営トップによる「コンプライアンス宣言」で終わってしまい実際には何も機能しないという事態になれば、それもまた不毛である。

企業にとって最も生産的なコンプラアンス活動とは何だろうか、残念ながら筆者も十分な解答を持ち合わせていないが、日産の対応が一つのヒントを与えてくれるかもしれないし、そう期待したい。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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