2020年からの新型コロナウイルス禍で、当初は被害が僅少だったはずの日本が、なぜ最後まで危機を脱却できなかったか。先進国の中で日本だけが、「Confidence を毀損することが対策だ」という勘違いをしたからです。
たとえ無症状でも「後遺症が怖いぞ」「他人にうつしたら制裁を受けるぞ」と不安を煽り、自信をなくさせ、誰もが「お前が迷惑をかけないか見張っているぞ」と脅すことで相互の信頼を失わせる風潮を、あたかも意識の高い行いであるかのように喧伝してきた。その果てが世界の中でもいちばん後までマスクを外せない、あまりにみじめな国民の姿でした。
「自信と信頼」を相互に失った社会は、やがてどういった状況に陥るか。1979年の時点ですでに、印象的な表現で語られています。
Human identity is no longer defined by what one does, but by what one owns. (人々は自分が「なにをなすか」ではなく、「なにを所有するか」を誇るようになり始めています)
One is a path I’ve warned about tonight, the path that leads to fragmentation and self-interest. Down that road lies a mistaken idea of freedom, the right to grasp for ourselves some advantage over others. (私が今晩警告したいのは、社会を断片化し自分にしか関心を持たない道はまちがっているということです。それは自由という理念を誤って解釈し、他人の犠牲の上に利益を得ることが、自分の権利だと錯覚させます)
こうした診断を率直に語る指導者は、同時代にはあまり人気が出ないのだけど、でも当時も今もほんとうは必要ではないでしょうか。
今日わが国の政界にいるのは、「まだまだウチは五輪も万博もできる!」としか言わない懐古屋と、「うおおおAIで日本復活! うおおおおDXで日本復活! うおおおおおMMTで…」みたいな精力剤中毒者だけです。先進国の宿命として訪れる衰退に向きあうビジョンを、真摯な言葉で政治家から耳にすることはまずありません。
実際にカーターも演説の翌年、1980年の大統領選挙では記録的な大敗を喫して、ホワイトハウスを去ります。劇的なまでの共和党の勝利は、後に「保守革命」とさえ呼ばれ、その立役者はつねに根拠のないニコニコ笑いを湛える俳優出身のロナルド・レーガンでした。
しかし、それに続いた明るいレーガノミクスの「成功」は、本当に内実のあるものだったのか? 高坂正堯をはじめ、同時代のまじめな親米派ほど当時から抱いた疑いの方が、ポスト冷戦の今日ではリアルな洞察になっていることは、何度か指摘してきたとおりです。
スピーチの調子にも表れているように、生真面目な性格のカーターは敬虔なキリスト教徒で、1976年の当選時には、米国南部の福音派が初めて大統領に押し上げた政治家として報じられました。いまなら「宗教右派」に括られる票で勝利したわけですが、平和と人権を重んじるそのビジョンは米国史上で最も「リベラル」とも呼ばれます。
79年の ”Crisis of Confidence” 演説を考察したDVDの番組で語られる解説は、今日、痛切な郷愁をそそってやみません。
彼はアメリカで台頭する道徳的・宗教的な保守派と、有色人種の人権を重んじるリベラル派という正反対の陣営に橋を架け、「双方」からの支持を得て当選した最後の大統領になった。
(ヘッダー写真は『トワイライト・ストラグル』のカードより、カーター政権の最大の功績と呼ばれるイスラエル・エジプト和平。その遺産すらもこれから、崩れ去ってしまうのでしょうか)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年2月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。
提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
【関連記事】
・「お金くばりおじさん」を批判する「何もしないおじさん」
・大人の発達障害検査をしに行った時の話
・反原発国はオーストリアに続け?
・SNSが「凶器」となった歴史:『炎上するバカさせるバカ』
・強迫的に縁起をかついではいませんか?