左:黒田東彦氏 右:武藤敏郎氏

2人の高官の去り際のドラマ

日経新聞で定期的な購読者が最も多いと思われる連載コラム、著名人による「私の履歴書」(1か月)に異変がありました。昨年11月に財務省財務官OBで日銀総裁を務めた黒田東彦氏、今年の1月には事務次官OBで東京五輪組織委員会の事務総長だった武藤敏郎氏が登場したからです。

黒田氏(1944年生まれ)は国際金融、武藤氏(1943年生まれ)は国内財政の事務方のトップで同世代、財務省OBの二人が間を置かずに紙面をにぎわすとは、異例のまた異例のことです。どういうことだろうか。そう思った読者が多いに違いない。

準備期間も必要ですから、執筆の依頼は相当早くするのでしょう。退任後、1年半の武藤氏の登場は順当としても、黒田氏の場合は昨年4月にお辞めになってからわずか半年です。黒田批判、異次元緩和策の方向転換が始まる前に、書くなら書いてしまいたい。そう思ったと想像します。

それはともかく、財務省の事務方トップが退任すると引く手があまたで、退官後も最重要のポストにお呼びがかかる。両氏は日銀総裁、五輪組織委事務総長と違いは大きくても、二人の去り際には共通点も多く、読んでいて思わず苦笑を禁じえませんでした。

黒田氏は安倍・元首相の要請でデフレ脱却のためのアベノミクス、武藤氏は森・元首相(東京五輪組織委会長)の要請で五輪運営のためのポストにつきました。黒田氏は「この使命を私にとっての天命を思った」と、大喜びでした。対する武藤氏は「森会長に説得され、お引き受けした」と。つまり武藤氏はいやいやながらの就任だった。

その違いは大きくても、黒田氏の就任10年、武藤氏の8年半の結果はどうだったのか。黒田氏は「粘り強く金融緩和を続けることで、日本経済に好循環が生まれようとしている」と、満足げです。武藤氏は「東京五輪は日本社会に有形無形のレガシー(遺産)残したと信じている」と総括する。

実態は大きく違うでしょう。黒田氏の10年間、異次元金融緩和による財政ファイナンス(日銀の国債購入)の結果、国債発行残高は未曾有の規模となりました。国債の利払い費は27年度に15・3兆円(24年度は9・7兆円)と膨張します。さらに極度の円安で日本のドル建てGDPはドイツに抜かれて世界4位に転落しました。結果をみれば「壮大な失敗」と言えます。

異次元緩和の出口(転換)を模索できても、財政金融が正常な状態にたどりつくには、20、30年か、もっとはるかにかかるか分からない。要するに、安倍氏と組んだ10年間は日本の混迷を深める遺産を残した。黒田氏は官僚人生の去り際で大きく躓いたのです。本人はそれを認めない。

一方、武藤氏は「東京大会を巡り、元理事が受託収賄罪で起訴され、刑事裁判が続いている。元次長は談合で独禁法違反に問われ、有罪判決を受けている。知らなかったとはいえ、組織委のガバナンスが十分でなかった。事務方の責任者としてお詫び申し上げる」と、反省の弁は述べています。

お詫びや反省どころで済む次元の話ではないのです。五輪犯罪が生まれた基本的な原因は、受注者(電通など)が組織委に人を送り込んで発注者(組織委側)として調整(契約)を行い、受注者(電通など)の利益を図るという常態化した構図にあります。これは常識です。

財務省で公共事業主計官、主計局次長、官房長、事務次官までやった人物が五輪組織委の危うい構図に疑問を抱かないはずはない。恐らく気が付いていた。問題を提起すれば、五輪の開催(2021年)が瓦解しかねない。今さら手を入れられない。そんな不安な心境だったのでしょう。