これをみて戦前の軍部を連想した人は少なくない。満州事変を起こしたのは政府でも参謀本部でもなく、関東軍の参謀(課長級)にすぎない石原莞爾だった。軍部はいつの時代にも、戦争を求める。地震学者は地震対策に無限のコストを求め、気象学者は気候変動に無限の対策を求める。感染症学者が感染症対策に無限のコストを求めるのは当然である。
政治はそういう個別利害を超え、全体最適を考えて判断しなければならないが、戦前の日本では軍部に知的エリートが集まり、その権威に政治家が勝てなくなった。軍部が「統帥権の独立」という論理で独立性を主張し、政府が決定して専門家が実行する階層構造が崩れてしまった。
その結果、指揮系統が混乱して両論併記で先送りが続く。それで何もしなければまだいいのだが、最後は状況に迫られ、ドタバタの中で誰も望まない結論が出てしまう。日米開戦は東條首相さえ望まなかった。その間違え方には法則がある。全員一致と前例主義である。
危機管理する国家の不在どこの国でも官僚機構は前例主義だが、前例を超える大きな意思決定は主権者が行なう。しかし明治憲法では主権者たる天皇が「空虚な中心」だったため、指揮系統がわからなくなった。こういうとき専門家の力の源泉になるのは人間関係である。
明治時代、長州閥の武士は戦争の攻撃や撤退の呼吸を知っていたが、明治以降、士官学校を卒業した学校秀才は実戦経験がないため、石原や武藤章や辻政信など、勇ましい作戦を主張する軍人が出世する組織になってしまった。
大局的な判断は総司令部がおこない、将官も兵士もその指揮に従うのが戦争の鉄則だが、日本軍では中隊レベルでボトムアップの意思決定がおこなわれ、師団もそれを追認するだけだった。官僚機構でも「局あって省なし」といわれるように部分最適化がおこなわれ、国家としての意思決定ができない。
コロナでも、政府がこのようなタコツボ集団だということが露呈した。厚労省の下部組織の感染症対策分科会の尾身茂会長が大臣を超える発言権をもって行動制限を決定し、100兆円を超えるコロナ対策費がほとんど国会を通さずに支出され、いまだにその総額もはっきりしない。