賢子は道長の甥(次兄である道兼の子、兼隆)と結婚して娘をもうけたが、後冷泉天皇の乳母となり別れたのか、その後高階成章(太宰少弐などを歴任)と結婚している。彼は受領として各地を歴任し、「欲関白」などと呼ばれる一方で有能であったとされる。
百人一首には「ありま山ゐなの篠原風吹は いてそよ人をわすれやはする」という歌が賢子のものとして入っている。母である紫式部とは異なり、前向きな性格であったようだ。
紫式部の一族は院政時代に側近として活躍し、その子孫から後鳥羽天皇の妃であり土御門天皇の母となる源在子を輩出している。そのため、紫式部は今上天皇の先祖の一人にあたる。
夫の宣孝は高藤の子孫の嫡流である。高藤は鷹狩りの途中、南山科の宮道家の娘である列子と結ばれ、胤子をもうけた。胤子は醍醐天皇の母となり、高藤は大臣となった。宣孝と本妻の間に生まれた息子の子孫は院政期に活躍し、甘露寺家、中御門家、葉室家、勧修寺家、万里小路家、清閑寺家、坊城家、芝山家などを興している。
勧修寺家からは後奈良天皇や後陽成天皇の生母が出ている。また、足利尊氏の母の実家であり、関東管領や米沢藩主家はその分家である。宮道家の跡地は現在、勧修寺となっている。
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山科のグルメといえば、全国のデパートに惣菜を展開する「わらびの里」が山科区東部の山里にある料亭である。同系列の「露中庵」という蕎麦屋も存在する。
街道沿いにはラーメン店も充実している。「夜鳴き屋」は老舗で、名にふさわしいオーソドックスな味わいを提供している。
トンカツの「熟成豚かわむら」は食べログ100名店にも選ばれている。
シチューの「炎の池」や洋菓子の「ローヌ」は地元で古くから愛されている老舗である。餃子の「王将」の本社も山科に所在している。
また、滋賀県大津市にある京阪大谷駅近くの「かねよ」は山科盆地内に位置する京都周辺の老舗で、だし巻き卵と鰻がのった「きんし丼」や鯉こくの定食が人気である。