その直後の第49節でセレッソ大阪から首位の座を奪うと、最終的に勝点106という数字で優勝した仙台。見事J1昇格を果たし、梁自身も初のJ1の舞台へ挑戦をすることとなる。


梁勇基(サガン鳥栖所属時)写真:Getty Images

J1への挑戦、サガン鳥栖への移籍

2010年以降もJ1で仙台のチームを牽引する梁は、2012シーズンのJ1開幕戦を欠場するまでJリーグ通算213試合連続出場(J2では145試合連続出場)という記録を達成した。仙台は、2012年にJ1での過去最高順位となる2位を記録し、梁はこの年のJリーグ優秀選手賞を受賞する。

さらに翌2013シーズン、仙台でクラブ史上初となるAFCチャンピオンズリーグ2013で5試合に出場し1ゴールを挙げている。2018シーズンには天皇杯準優勝という結果を残し、リーグ戦でもJ1へ定着した仙台。一方で、梁自身は徐々に出場機会が減少し、2020年に試合への出場機会を求め、サガン鳥栖へ移籍を決断することとなる。

プロ17年目にして初の移籍となった梁は、当時の鳥栖の指揮官、金明輝監督から信頼も厚く、豊富な経験を活かし、チームの心臓としての役割が期待されていた。在籍期間は2021年までの2シーズンだったが、32試合に出場、ベテランとしての存在感を示し、チームやサポーターにとっても忘れられない選手となったことだろう。

梁勇基 写真:Getty Images

仙台への復帰そして現役引退

2022年、梁は鳥栖から仙台へ電撃復帰を果たし、再び背番号10を着けることとなる。仙台は2021シーズンにJ2へ降格したばかりで、梁は「再びベガルタゴールドのユニフォームを着てプレーできる事となりました。J2リーグはとても厳しいリーグです。選手、監督、スタッフ、フロント、そして熱いベガルタサポーター、一丸となって戦いましょう」(ベガルタ仙台公式HPより)と、J1昇格へ強い思いを持って加入した。