選定療養の拡大による選択肢の多様化を

第二に、既に保険収載されて公定価格が存在する医療行為を保険適応外の症例に広げる場合は、柔軟に認めて良い。これは、「選定療養」という既存の仕組みを拡大することで実現できる。

現在でも差額ベッド代や歯科治療のセラミックなどは、混合診療が例外的に容認されている。実は、上記の設例に近い「予約診療」もこの選定療養の項目の一つとなっているが、「患者一人あたり10分以上の診察時間」などの要件が課されている。つまり単に患者の順番や担当医師を入れ替えるだけの値上げ行為には、歯止めがかけられているわけだ。

このように、値上げを防止しながら、選択の幅を広げることは可能だ。例えば「制限回数を超える医療行為」も、既に存在する選定療養項目の一つだ。現在は対象が限定されているが、これを大きく緩和してもほとんどのケースでは問題がないだろう。

回数を増やせば医療機関にも相応のコストがかかるし、保険と同価格であれば利幅も限定的なので、不必要な行為を押し売りするインセンティブは働きにくい。状況に応じて、事後的な介入や診療報酬点数の見直しも可能だ。

また、新たな診療技術や薬などが保険適用される際に、対象患者が厳格に絞り込まれることがある。例えば、抗がん剤の多くは保険適応のがん種が限定されている。エビデンスが確立した患者群に対象を絞ることで医療財源を効率的に配分する趣旨だが、「エビデンス不十分」で対象から外れている患者群の中にも有効性が期待できるケースは存在する。

他のがん種で承認済みの薬に一縷の望みを託したい患者には、医師の専門的判断に基づき使用を認めてよいはずだ(こうしたケースは主に患者申出療養の活用が想定されているが、利用のハードルが高く、個別事例にきめ細かく対応できない現実がある)。

以上については、専門家が安全性に配慮しつつ基準を設けて粛々と認めていくべきだ。

費用対効果分析に基づく保険給付範囲の絞り込み

第三に、費用対効果に基づく保険給付のメリハリを強化すべきだ。これには国民的議論が必要となる。

現在の保険診療範囲内でも、ジェネリックが存在する場合の先発薬や回復見込みのない延命治療など、公的支出の妥当性に疑問のある項目が存在する(ジェネリックと先発薬の差額に関しては、令和6年度診療報酬改定で部分的に導入されることが決まった)。

筆者は、基準を設けてこれらを選定療養へと外していき、その部分に限って全額自費負担を求めていくべきだと考える。

患者の病状やQOLを真に改善する診療は、たとえ高額であっても公的保険に含めて行くことが理想だが、医療技術の進化と少子高齢化のスピードを考えると、将来に亘ってそれが維持可能であるかは分からない。

「全て保険で」の建前に拘ったところで、財源に限りがある現実は無視できないわけで、新技術の保険収載が遅れたり、対象患者の条件が過度に絞り込まれる形で、国民の医療アクセスは徐々に制約されていく懸念が大きい(既にその兆候は現れている)。

価値の高い医療技術に財源を確保するためにも、個人の好みや価値観に属するようなものは患者自身の負担とする合理化をまずは進めるべきだ。

公的給付の範囲に関する国民的議論を

こうした改革を進めても、一部で過剰に恐れられているように「世界に冠たる国民皆保険が崩壊」することはない。むしろ日本の医療制度を維持するためにこそ、保険給付範囲の合理化が不可欠だ。

これからの医療制度は、「平等」と「効率」という相反し得る二つの目標を追求しなければならない。折り合いの付け方には多様な意見があり、具体的な線引きは議論を重ねて見出していくしかない。いずれにしても、「どこまでの医療を公的にカバーするか」という国民選択は、「便乗値上げをいかに防ぐか」という技術論とは別次元の問題として、切り離して議論すべきだ。

「混合診療」の言霊に怯えて一様にタブー視することなく、その問題点を正確に捉え直した上で、冷静かつ建設的な議論が進展することを望む。

※個人の見解であり、所属する組織とは関係ありません。

坂野 嘉郎 投資銀行、医療政策シンクタンクなどを経て、医療ベンチャー企業にて財務を担当。東京大学法学部卒、ハーバード公衆衛生大学院修了(MPH)。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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