モドリッチは10歳で、クロアチア1部のビッグクラブであるハイドゥク・スプリトの入団テストを受けたが、フィジカルが弱いことを理由に落ちてしまい、近隣の弱小ザダルでプレーした。

しかし発育が遅かったことは、むしろモドリッチの成長を促した。身体の成長が早い選手が体格や力任せにプレーできるのに対して、小柄でひ弱なモドリッチは技術や判断力などプレーの仕方を工夫する必要があった。

そして16歳の時に晴れて実力が認められて、もう1つのビッグクラブであるディナモ・ザグレブのユースの門をくぐったのである。

少年時代から数々の挫折を乗り越えてきた。この経験はモドリッチを人間として大きくした。そしてモドリッチの不屈の精神は、38歳289日でUEFA欧州選手権(ユーロ2024)の史上最年長得点を決める原動力にもなった。

ルカ・モドリッチ(トッテナム・ホットスパー所属時)写真:Getty Images

プロ契約後も続く移籍という挑戦

ディナモ・ザグレブで頭角を現したモドリッチは、プレミアリーグのトッテナム・ホットスパーの目に留まった。そして2008年、22歳の時にクラブ史上最高額の移籍金で加入するも、周囲の期待の割に活躍できず、1年目は非常に苦労しリーグ8位で無冠に終わっている。

次第にパフォーマンスを発揮するようになり、2009/10シーズンにリーグ4位となり、2010/11シーズンにスパーズ(トッテナムの愛称)を約半世紀ぶりとなるUEFAチャンピオンズリーグ(欧州CL)に導く。

そして欧州CLで敗れた相手であるレアル・マドリードに2012年に加入することになるのだが、そこでも1年目はシーズン序盤のプレー時間が安定せずに、主要タイトルも逸して「期待外れだ」と周囲を失望させた。

しかし尻上がりに調子を上げ、翌2013/14シーズンに欧州CLとコパ・デ・レイ(スペイン国王杯)の二冠を達成。チームになくてはならない選手になった。次々と現れるつわものの新加入選手とのポジション争いに敗れたかと思いきや不死鳥のごとく蘇り、クラブ史上最年長の選手にまでなった。


ルカ・モドリッチ 写真:Getty Images

ジダン監督に懇願されてキャプテンに