ドイツのブランデンブルク州の州都ポツダム市近郊で昨年11月25日、極右「ドイツのための選択肢」(AfD)の政治家や欧州の極右活動家のほか、「キリスト教民主同盟」(CDU)や保守的な「価値観同盟」の関係者も参加し、「外国人、移民の背景を持つドイツ人、そして難民を支援する全ての人たちを強制移住するマスター計画」などについて議論していたことが明らかになり、ドイツ国民や政界に大きな衝撃を与えた。その後、ドイツ全土で「民主主義を守れ」という反AfD抗議デモが広がる一方、「AfDを禁止すべきだ」という声が聞かれ出した。ただし、AfD禁止問題では国民は2分している。
ドイツ野党第一党「キリスト教民主同盟」(CDU)のメルツ党首が主張していたように、国民の20%以上の支持率を獲得し、連邦議会で第2野党のAfDを禁止できるかという点だ。換言すれば、民主的選挙という正当なプロセスを通じて国民の20%の支持を得た政党を禁止することは民主主義の精神に反する、という問いかけだ。
ドイツでは1956年、ドイツ共産党(KPD)を禁止して以来、政党が禁止されたケースはない。ドイツでは2017年、連邦憲法裁判所は極右政党NDP(国民民主党)の禁止要請について、「NDPが違憲性のある政党である点は疑いないが、国や社会に影響を与えるほどの勢力はない」として却下した。
それでは、AfDの場合はどうか。AfDは極右過激主義的組織として治安関係者の監視対象になっている州もある。ドイツの政治学者ヘルフリート・ミュンクラー氏は30日、オーストリア国営放送のニュース番組のインタビューの中で、「NDPは勢力が小さすぎるから禁止されなかったとすれば、AfDは大きすぎるから禁止できないと言えるかもしれない」と答えていた。同時に、「民主主義は現在、世界的に守勢に立たされている。私たちは現在、台頭しつつある独裁政権と民主主義との間の世界的な競争の中にいる」と語った。
ドイツの場合、独裁者ヒトラーが武力行使(革命)で政権を掌握したのではなく、民主的プロセスを経てナチス政権を発足させ、ユダヤ民族の虐殺などの戦争犯罪を犯す道を歩んでいった、という苦い体験がある。ドイツ国民には民主主義に懐疑的になる歴史的な事情がある。
ミュンクラー氏は、「民主的立憲国家は『減速の原則』に基づいている。決定の際は間違いを回避し、感情や非合理性な思考に振り回されないように注意し、専門家からのアドバイスに耳を傾ける。これらの民主的なプロセスは長い」という。