黒坂岳央です。

筆者は活字中毒者で毎日かなりの分量の読み書きをしている。だが一時期、数カ月間ほぼ執筆活動を止め、読書もしなくなっていた時期があり、その時の衰え具合は想像を遥かに超えるものだった。

日常的に活字に触れなくなることで著しい退化が起きる。あまりこのような主張をする人を自分は見たことがないので、この場に記録しておきたい。

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真っ先にアウトプットが錆びつく

筆者は2017年にビジネス記事をメディア会社に寄稿を始めるようになり、そこから3冊の書籍商業出版を含めてほぼ毎日膨大な分量の執筆活動を続けてきた。自分にとって執筆は朝の散歩習慣のようなもので、起きた直後はまずは書くことから仕事がスタートする。もう何年もずっとこの生活を送っている。

ところがわずか数カ月間、一時的に執筆活動を止めた時期があり、久しぶりに書こうと画面を開いても全くといっていいほど言葉がなかなか出てこないことに衝撃を受けた。

それまで執筆をすると感じたこと、考えていることをそのまま指先を通じて思考と執筆がほぼ同じタイミングで進んでいくのに、思考や感覚がまったく言語化できず、文字として入力が進まない。白紙の原稿を前に15分、脳内に浮かんでは消えていく思考を見つけて「これはまずい」と感じた。

活字に触れなくなると、真っ先にアウトプットである執筆活動が鈍る。当然、それを音声で発する会話力も落ちる。ピンポイントで表現したい語彙が脳から出てこない。「なんというんだっけ?」と考えても出てこず、簡素で陳腐なワーディングに言い換えをするしかできなくなるのだ。思考と表現に不一致が起きる現象が発生する。

文字を読むのが苦痛になる

活字に触れないとアウトプットだけでなく、当然インプットも錆びる。端的に言うと文字を読むのに苦痛を感じるようになってしまうのだ。そして代わりに脳が楽で受け身で情報が咀嚼できる音声や動画を求めてしまう。確かに動画や音声は移動しながら情報収集ができるメリットがあるが、同時に「わかり易すぎて脳への負荷が活字に比べて著しく小さい」というデメリットも有る。