「物見遊山」の成り立ち
ここからは「物見遊山」の成り立ちを解説します。
「物見」とは
「物見」は観光地などに行って見物することを意味する言葉です。
要は何かしらの物事を見に行く、見学することを意味します。
もともとこの言葉は敵陣で敵情を探ったり見張ったりすることを指す言葉でした。
かつては外を見るために設けた穴や窓のことも指す言葉でした。
転じて、見る価値のあるものや優れた見ものをあらわすようになったとされています。
「遊山」とは
「遊山」は野山に気晴らしに遊びに出かけることを意味する言葉です。
言葉の意味合い的に「都会を見るために出かける」というよりは「自然を見るために出かける」というようなニュアンスの強い言葉となっています。
現にもともとは自然を楽しむことを意味していたとされています。
「遊山」は仏教に関連する用語
「遊山」は仏教用語で僧侶が修行を終えて悟りを得た後、自然を楽しみながら自由に散策することをあらわしていた言葉だったとされています。
つまり、仏教の世界においては「修行を終えて気晴らしをする」という意味で使用される言葉だったわけです。
転じて、僧侶の修行だけでなく一般の人が気晴らしに散策することも意味するようになったのだとか。