2004年3月27日、リチャード・ランセリン・グリーンが、ロンドンの自宅アパートのベッドで、うつ伏せになって死んでいるのが発見された。捜査では、首に巻いた靴ひもを木のスプーンでねじりあげ、縊死したことが明らかになり、当初は殺人と断定された。

 この事件をさらに複雑にしたのは、実はグリーンは、かの有名な探偵シャーロック・ホームズと、その作者アーサー・コナン・ドイルの世界有数の専門家であることであった。

■シャーロック・ホームズ研究家の苦悩

 グリーンは1953年、英国北西部のチェシャーで生まれた。彼はわずか7歳の時から、シャーロック・ホームズに関する品の収集を始め、初版の本、映画関連品を含むコナン・ドイルの屈指のコレクターであった。彼は自分の家の屋根裏部屋に、かの有名なベイカー街のホームズの部屋さえ再現していた。

 オックスフォード大学で英文学を学んだ彼は、彼自身も著名な作家として見聞を広げるためにあちこちを旅した。

著名シャーロック・ホームズ研究者の死にまつわる未解決事件! 謎の追跡者、奇妙な言動… 小説の模倣殺人か
(画像=リチャード・ランセリン・グリーン 「Vocal」の記事より,『TOCANA』より 引用)

 数多くの著作を出版していたグリーンであったが、彼の生涯をかけた仕事は、未完成であったアーサー・コナン・ドイルの伝記を書くことであった。すでにドイルの伝記は幾人かの作家によって書かれていたが、それらにはドイルの裕福な相続人である2人の息子、エイドリアンとデニスからの干渉があったといわれている。

 しかし、グリーンはコナン・ドイルの娘ジーン・ブロメットと親しい関係を築き、彼女が持っていた記録は、彼の研究の中で最も重要な部分を占めていた。

 グリーンの不可解な死の物語は、ここから幕開けとなる。

 2004年、国際オークションハウスのクリスティーズが、「コナン・ドイル・コレクション」を売却すると発表した。グリーンは、この豊かな資料がアメリカ人の手に渡る可能性に激怒し、この資料は、イギリスの図書館に引き継がれるべきと考えていた。彼はこの収集物の多くは、彼が発見したものと同じであり、また盗まれた品々であると確信していた。

 グリーンは、当然のようにクリスティーズにオークションの中止を訴えた。

 コレクションはドイルの息子エイドリアンの未亡人のものであり、グリーンの長年の友人であるドイルの娘が指示したように、大英図書館に遺贈されるべきだった。グリーンはこの問題を証明しようと、いたずらに努力したが、最終的にはオークションに反対するだけの証拠を揃えられず申し立てはできなかった。

 グリーンはオークションについて、非常に深く悩み苦しんだ。

 彼が死の数週間前に、友人やジャーナリストに語ったところによると、正体不明のアメリカ人がグリーンを追っており、彼のオークションへの反対表明が彼の命を危険にさらしているとのことで、妹のプリシラ・ウェストも、兄はアメリカ人に追われていると周囲に主張し、家は盗聴されていると話していたという。

 その妹は、グリーンが精神的に非常に不安定になっており、妄想的な行動を見せていたと述べた。そのため、妹はグリーンが死んだ朝も、彼のアパートに様子を見に訪ねたのだった。

著名シャーロック・ホームズ研究者の死にまつわる未解決事件! 謎の追跡者、奇妙な言動… 小説の模倣殺人か
(画像=リチャードランセリングリーンが編集した、世界中のファンからシャーロックホームズに書かれた手紙のコレクション 「Conan Doyle Collection」より,『TOCANA』より 引用)