まだちゃんと読めてないのですが(すみません)、本書の正副タイトルが示唆する、必ずしも若者には限らない日本人みんなの「お客様化」が、デオドラント化の背景にあるという趣旨での言及かなと感じています。より正確にいうと、馴染みという概念がないお店でのお客様化ですよね。
初めて寄ったファミレスで、案内されたテーブルが汚れていたら、「なんだこの店。ちゃんとやれよ」とイラッと来る。ひょっとしたらネットに低い評価を書きこんだり、本部に電凸してクレーム入れちゃうかもしれない。
でも行きつけにしている個人のお店だったら、テーブルに前の客の食器が残ったままでも、「のんびり待つんで、ゆっくりでいいっすよ」になるでしょ? 顔馴染みの主人が悪い人じゃなくて、けっこう忙しいことを知っているからです。
馴染みとか関係なく、俺がほしいのは「最低価格で最高サービス! うおおおおお」を追求するのは、かつての近代経済学が想定した合理的経済人ですが、いまや現実の消費者がそうした抽象化されたモデルに近づき、むしろ経済学部で教える先生のほうが「おいおい。世の中ヤバくないか?」と感じ出している。そんな逆説を感じました。
この「社会のデオドラント化」という表現を最初に使ったのは、『週刊現代』2023年6月3・10日号での宮台真司さんとの対談でした。全文ではないですが、その箇所も含めて一部がネット記事で読めます。
対談は、若者が起こす刹那的な犯罪をめぐるものでしたが、2024年の1月には京都アニメーション放火殺人事件(19年7月)の判決を控えて、『朝日新聞』の取材でも同じ言葉を使いました。こちらは近日、雨宮処凛さんが護憲メディアの「マガジン9」で丁寧に紹介して下さっています。
宮台さんと雨宮さんはもうだいぶ立場が違いそうだし(笑)、私は双方ともたぶん違うし、また舟津さんとは専門が違う。そうした異なる人どうしでも共有できる言葉を作ってゆくのが、正しい意味でのダイバーシティだと改めて痛感します。
……ん、あれっ?
……異なるどころか私と同じ専門なのに、『朝日新聞』で社会のデオドラント化についての記事を読んで、ぜんぜん違うことをネットで叫ぶ人がいる学問分野も、あったような?
「豚の嘶き」で有名なこの人、歴史学者なのですよね。不思議なのは、歴史ってもう昔ほど相手にされず、むしろ社会を効率化する上での邪魔者として除菌スプレーをかけられる側なのに、なぜか歴史学者って自分をスプレーする側だと思い込む癖があるんです。
私のことを「無敵の人」呼ばわりして中傷するのもそうですが、それが彼にとって例外的な態度でないことは、「この学者はクリーン! この学者は除菌!」と同業者への噴霧しぐさを重ねる異様な長文にも表れています。
歴史学なる学問のどこに、学ぶ人をおかしくさせる要素があるのかは、コロナ禍の最中にも『歴史なき時代に』(21年6月)で探究しましたが、今後も歴史学者ではないみなさまの知恵を借りつつ、そこに潜む現代社会の闇を解剖してゆきたく思っております。どうぞよろしくお願いいたします。
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年5月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。
提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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