黒坂岳央です。
よく言われる話に「あの人はもう一生働かなくても生きていけるほどお金を持っているのになぜあんなに頑張るのか?」というものがある。自分も昔はそう思っていた。日本長者番付にランクインするような経営者は、天文学的な資産を有するにも関わらず、皆ハードワーカーばかりである。
筆者は「仕事をするお金以外の理由」について自分なりの答えにたどり着いた。その解釈をここに言語化してみたい。
自己実現欲求まずは誰もが知る「マズローの5段階欲求」を使うことで、仕事を頑張る動機を説明できる。下位の欠乏欲求はお金の力で解決できるものが揃っている。生理的欲求、安全欲求については、鍵がかかり雨風しのげる家と栄養豊富で食べ物を潤沢に準備すればいい。社会的欲求は仕事やコミュニティに属せば解決する。
だが次が難しい。承認欲求の壁である。一生涯を丸ごと使ってもこの壁を超えられない人は多い。肌感覚で言えばこの上の自己実現欲求にたどり着ける人は全体の1割程度と思っており、それだけ難しい。
承認欲求は本質的にお金では解決しない問題である。それにも関わらず、お金の力で解決しようとして疲弊してしまう人がいる。たとえば認められない、尊敬されたい、注目を集めたい、という欲求から、高級ブランド品とか上質体験をSNS投稿をするケースだ。一度目は周囲も半分義理で褒めてくれるかもしれないが、二度目以降は見ている側も目が肥えてハードルが上がり続ける。それに合わせて散財を続ければいつかは経済的限界値に達する。いや、途中で「この人は心が貧しい」などと反発を受ける事にさえなりえる。
この欲求段階は仕事で解決するのが最も健全かつ持続性がある。お客さんに喜ばれる仕事をすれば、「ありがとう!」「いい仕事してくれてるおかげで助かりました」と感謝の声が集まる。毎日誰かの役に立つ仕事をするだけでこの段階は自然に満たされる。
自己実現欲求も同じだ。自分の得意なこと、能力を活用できる分野を仕事の成果物としてお披露目するのが仕事である。お笑い芸人ならお笑いを、ジャーナリストならメディア出演を、料理人であればおいしい料理である。だがこれを趣味で処理しようとすると難しい。経済的リターンがないと手出し一方となってサステナビリティに欠けるし、趣味では仕事ほど厳しい意見も得られないから真剣に勝負する動機もないことになる。
知識、技術の成長仕事は自己成長できる最も良いトレーニングである。人間は人生におけるポジティブな変化率、すなわち成長を幸福と感じる機能性を有する。故に成長の実感は幸せといえる。
学問も同じように頭のトレーニングにはなるので、この点で同じだろうか? いや、仕事は学問とは決定的に異なる点がある。
基本的に学問には明確な答えがある。数学や国語も問題を解くなら、必ず回答が用意されている。抽象的な課題であっても模範解答を示すことができる。だが、仕事はルールもゴールもドンドン変化する点で学問と異なる。バスケの試合途中で、突然足や道具を使うことを許される、くらいのダイナミックな変化だ。最近の例で言えばAIの活用であろう。
また、市場ニーズも変わっていくので、同じ仕事を続けているだけでは提供できる仕事の付加価値も低下していく。だから否応なく自分自身が成長し続ける必要がある。そのプロセスの中で、技術や知識も洗練されていくのだ。これは仕事以外の活動ではなかなか難しい。
よく「年をとると頭が悪くなるから若い人が有利」みたいな話があるが、そんなことはないと思っている。この主張は加齢で技術や知識、経験値を蓄積する事実を無視しており、また脳機能も文脈を介さない単純記憶力といった一部分だけを取り上げている偏重的意見に思える。
自分自身、頭の使い方は10代、20代の頃より格段に上手くなったので、今からゼロベースで外国語学習や、まったく未経験のビジネスを立ち上げるのでも若い頃の自分がやるより遥かに上手にできる自信がある。仕事を通じて自己成長を続けてきたからだ。