その挙句、中国の国会とも言える全国人民代表大会(全人代)の会期中、厳重な警備体制が敷かれているはずなのだが、習近平国家主席が暮らす「中南海」にクルマが突入した。
習近平国家主席らが暮らす「中南海」に車が突入か 全人代会期中で現場周辺は厳戒態勢
異様なことである。まずVIPが滞在中の中南海にクルマの突入というテロが発生すること自体がかの国ではあり得ないし、もっと異常なのはこれがニュースとして、ましてや動画を伴って世界に発信されていることだ。
おそらくすでに、あの強引な手法で知られる中国共産党ですら、国民の不満を抑えきれなくなっていると思われる。そして当局の側にも、意図的なのかサボタージュなのかわからないが、テロや報道リークを見逃す動きが出始めている。まだ萌芽かもしれないけれど、習近平体制崩壊の兆しだと思う。
極論の話ならウクライナやロシアを考えるとそんなレベルではない。まあこれは彼女の言う通り「下を見ればキリがない」話かも知れないけれど。
筆者が言いたいことは、日本だけを見ていると不満なことは確かにあるのだけれど、世界全体を見るとそれどころじゃないくらい日本は恵まれていると思う。
氷河期世代の人が自分の越し方を思い起こした時に、こういう相対的な話を受け入れるのはなかなか難しいのは想像できるけれど、少なくともこの国を捨てて、これまで述べたようなアメリカや中国へ移住したいとは思わないだろう。少なくともすぐさま生活が破綻するようなことにはなっていないし、給料が半年支払われないなんてこともない。
とは言え、個人の実感として「生きやすくない」感覚はわかる。筆者自身最貧と言える状態は長かったし、クレジットのキャッシングでの借入が限界に達していた時期もあった。当時は直視したくなかったので総額はよくわからないが、多分あちこちの支払いを待ってくれている未払いを加えると1000万円近かったと思う。18%とか19%の高金利の金だけでも多分400万円くらいはあったはずだが、幸いそれを返し切って数年が経った。普通はそこまで膨れ上がると返せない。カード破産目前の人生だった。
正直なところ筆者も大変だったのだ。そういう経済状態ゆえにこの10年、クルマも持てない生活が続いてきたし、もっと言えばだいぶ前に結婚を考えていた相手にも逃げられた。氷河期世代ではないけれど、それと同様な生活は体験している。
しかし、結果論ではあるが、真っ暗闇の中で、ひたすら原稿を書き続けて、そのトンネルを抜け出すことはできた。今回の会話相手である彼女の状況はここでつまびらかに書くものではないが、彼女も筆者同様、経済的に「もうダメだ」からのサバイバーであるのは同じ。ましてや筆者は五十代半ばでも逆転できた。
だから彼女に言った。「あなたもボクも、あの限界的な状態から奇跡的に生き残ることができ、今は運良くまあまあ恵まれた生活ができるところまで帰ってきた。今ならクルマだって買おうと思えば買える。痛い目にあって用心深くなっているからまだ買わないだけだ。でもそれはわれわれが世にも稀な天才だったからできたわけではないことは自分たちが一番よく知っているよね。あれだけのどん底からの人生でもまだちゃんと当たりくじを引くことはできた。だからそれは選択肢の全部が外れくじではないことを示している。全部が外れだったら今があるわけがない」。
彼女は「あっ!」と言った。それが自分にとって奇跡に奇跡を重ねたような幸運のルートに思えたにせよ、少なくともそれは選択肢の中に入っていたのだ。入ってないくじは引けない。生存者バイアスの話ではなくて、その生存者になる確率は選択肢ゼロではなかったと考えるべきだと言いたいのだ。
筆者の例で言えば、人気商売とも言えるこんな道を選んだ責任は自分にある。もっと堅実でギャンブル性の薄い人生設計はあった。まあ痩せ我慢して続けたというよりは、選択肢が削がれて行った結果、手の中に残ったのがこれだったという実感の方が強いけれど、具体的にはいつだって選択肢があった。
例えばトヨタの期間工募集がこれ。年収500万円近い。別にトヨタ以外の他のメーカーでもサプライヤーでも、条件が多少落ちるにしても十分に生活していかれる。いわばくじの「中当たり」である。10年前の自分だったら羨ましいような待遇だ。でもそれを選ばなかったのは自分。
なりたい自分があるのはいいけれど、そのギャンブルの責任は自分でとるしかない。頑張るだけ頑張ってダメだったら、多分その時はもう年齢的に期間工もできないと思う。あとはひたすら生きるための仕事として、敗戦処理の人生を生きる覚悟がその生き方の辻褄だ。
むしろ早い時期に「理想の自分」を諦めて、「普通に生きていく覚悟」があればいくらでも選択肢はある。選ぶも選ばないも本人の自由だ。国が云々というというのは少なくとも今の日本に関して言えば責任転嫁だと思う。多分少し言葉が強くて嫌な感じかも知れないけれど、そこを理解しないと幸せになりにくい。
氷河期世代が巡り合わせが悪く、そこに政策的失敗が大いにあるのはわかるが、そこでどんなに激しく国や政治を非難をしても、現状が変えられるわけではない。人生は常に戦況に応じて現有戦力で戦う以外にできることはない。
右と左に分かれた道で「さてどちらが当たりか」と考えがちなのはわかるのだが、そうじゃない「右を選んでも左を選んでもどちらにも当たりも外れもある」。人生とはそういうものだと思う。そしてそういう選択肢が結構豊富にあるこの国は全然捨てたものではないと思うのだ。
編集部より:この記事は自動車経済評論家の池田直渡氏のnote 2024年4月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は池田直渡氏のnoteをご覧ください。
提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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