第二に、米国及びその他のNATO構成諸国が、さらに大規模な軍事支援を行い、いよいよとなれば直接介入してくれれば、ロシアを打ち負かすことができる、とウクライナの政治指導者層は信じている。そのため戦局を有利に進めることよりも、まずとにかく米国及びその他のNATO構成諸国の強い関与・介入を誘い出すことを重視し、目的にしてしまっている。
第三に、今までと同じ行動をとっていては、米国及びその他のNATO構成諸国は、決して関与を強めて介入してくれない。それどころか、援助疲れを言い始める人物が、各国の政権を奪っていかないとも限らない。拙速な行動であっても、時間を惜しみ、急いで冒険的な行動をとらなければならない。得られる利益が大きい行動ではなく、訴求力のある行動をとることを優先し、目的としてしまっている。
これらはいずれも手段の目的化の兆候を示している。追い詰められたがゆえに悪循環に陥った末の危険な兆候である。
頻繁に発信されるゼレンスキー大統領のSNS等を通じたメッセージの内容のほとんどが、欧米諸国の指導者にさらなる関与の強化を訴えるもので埋め尽くされてきている。ウクライナ軍のクルスク州侵攻が続いていることで、「一部のパートナーが抱くレッドラインという幻想は崩れた」といった主張を繰り返し行っている。
クレバ外相は、8月28日のポーランド外相との会談で、ウクライナが直面している最大の問題は「戦争のエスカレーションという概念がわれわれのパートナー間の意思決定プロセスにおいて優勢になっていること」で、「戦争では常に資金や武器、資源などが必要となるが、真の問題は常に頭の中にある」と述べた、と報道されている。ウクライナがロシアに勝てていないのは、支援国が臆病だからだ、という主張である。
ウクライナは国を守る目的で戦争をしている。いつか必ずロシアに完全勝利を収めたい、という願望は、目的達成のために意味のある願望だろう。しかし完全勝利でなければ、他のあらゆるものに何の意味もない、という思考に陥ってしまったら、危険である。