では大学の先生はどうやって決まるかといえばもちろん論文や書籍の出版による自己能力のアピールがありますが、基本的に大学が新たな学部や学科を作った時に「これを教えられる教員を採用する」という流れが強くなります。一時は国際政治、国際経済といった「国際」と名の付く学部が増えたのですが、最近はなぜか看護科を併設する大学が増えています。看護科は昔は専門学校の領域で、大学で学科設置をしたところは少なかったのですが、短大の閉校が進み、高学歴時代を反映しているのかもしれません。

ところで日経に「人事が見る大学イメージランキング 京大が3年連続首位に 採用増やしたい大学 東工大1位」とあります。高校生が見るランキングだと国立は東大、筑波、京大が御三家で、私立は青学、慶応、近大が御三家です。まるで違うのは視座が理由のように感じます。

日経の集計した「人事が見る」というのがこれがいやらしくも有名国立大学第一主義なのです。トップ10は全て国立です。面白いのはトップ20内に青学も東京大学も入っていないこと。つまり企業に入って仕え、かつ将来の幹部候補として期待できる像はチャラ山学院でもなく、使いづらい東大卒でもないわけです。(京大も使いづらいですけどねぇ。)

何故青学じゃダメなのか、といえば学生の勉強量が圧倒的に足りないのです。私の母校であり、有名大学だけど最近は筋肉大学化した気がします。東大はエリート意識が高すぎるのと大学を卒業した時のバランス感覚に欠け、企業に入って人に使われるのが不向きのように見えます。だから起業を目指す人が多かったりします。

こう見ると大学経営は必死で学生を集め、コストである教員人件費を削ることをし続けないと経営を維持できない、こういう時代なのです。しかし、これでは「研究室に残っても食えない…」ということになり日本の基礎研究のレベルが低下するリスクが大いにあるわけです。そのために大学の先生は出版に走るのですが、大学の先生が書く書物は重たい内容が多く、印税が入るような代物は少ないのです。

ではもっと若手でフルタイム教員ではないとどうなるか、といえばあちらこちらの大学のクラスをアルバイト感覚で引き受けるのです。それも一コマいくらという具合です。1時間電車に揺られて今日は〇〇大学、今日は△△女子大という具合です。その報酬はおおむね一回、数万円程度。なので3つぐらいかけ持ちの方は多いのです。更にFランク大学の教諭をしている限りなかなかフルタイムの仕事は回ってこない、これが現状であります。

私は大学卒業の価値があるのは800大学のうち、せいぜい上位50校までだと思っています。それ以下の大学卒業なら相当の個性を見せてもらわないと履歴書的には何の印象もありません。これは私が当地で日本人の採用人事を30年以上やっている中で実感していることです。下位ランク大学卒業の方はその個人を観察し、何をやって来たか、その実績と努力と粘り、根気、快活さ、失敗に対する回復方法などがポイントになります。ただ、当地で就職希望される多くの方は卒業後も平坦な社会人生を送ってきている方がほとんどなので印象に残る人は10人に1人ぐらいしかありません。

それを含め、今の大学数はもっと絞り、学生に勉学させ、教授陣のクオリティも上げ、学内の施設も充実させるべきでしょう。また大学は留学生をもっと増やし、多文化共生型の4年間を過ごさせ、様々な考えを身に着け、自己主張できるようにすべきです。クラスの一部も英語化しディベートもするべきだし、外国から教授を招聘するのもありでしょう。それは教授陣たちの独特な環境を壊すという意味も含めて、です。

大学は大改革が待ったなしです。20年後の大学ランクは大きく変わっているような気もします。

では今日はこのぐらいで。

編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年6月10日の記事より転載させていただきました。