それでは、フランシスコ教皇の発言は間違っているのだろうか。ロシア軍の激しい攻勢を受け、国民に更なる犠牲が出てくる状況が生じれば、ゼレンスキー大統領といえども戦い続けることは苦しくなる。そのような状況が生まれてこないために、ゼレンスキー氏は欧米諸国に武器の供与を何度も要請しているわけだ。ただ、この最悪のシナリオは完全には排除できないのが戦争だ。祖国防衛の意気に燃え、戦ってきたウクライナ軍も武器と兵力不足でロシア軍の攻勢に苦しんでいる。その一方、ウクライナを支援してきた欧米同盟国の中で結束が緩んできている。戦いが長期化し、消耗戦となればなるほどウクライナ側は苦しい。

ゼレンスキー大統領は2023年5月13日、フランシスコ教皇と一度、対面会談している。ウクライナ戦争の和平ではゼレンスキー氏と教皇は決して同一の立場ではない。ウクライナ戦争の和平調停について語る時、教皇がロシアを戦争の加害国であるとは明確には非難してこなかったために、ゼレンスキー氏は強い不満を持っている。

ゼレンスキー大統領はフランシスコ教皇との会談後、テレビとのインタビューの中で、「ウクライナには調停者は必要ない」と明言、教皇の調停の申し出を断る趣旨の発言をした(「ゼレンスキー氏『教皇の調停不必要』」2023年5月15日参考)。

戦争は「負けるが勝ち」というわけにはいかない。敗北すればそれなりの代償を要求される。祖国防衛のために檄を飛ばしてきたゼレンスキー氏にとって、戦争犯罪を繰り返し、多くの国民を殺害してきたプーチン大統領と停戦の交渉に臨むことは悪に屈服することを意味する。

ウクライナ戦争の場合、相手国の主権を蹂躙して侵攻してきたロシア側は国際法からみても被告の立場だ。プーチン氏が独自のナラテイブ(物語)を振り回したとしてもロシア側には正義はない。にもかかわらず、ウクライナ側が白旗を掲げてロシアと停戦交渉に応じるということは「正義が悪に敗北する」ことを意味することにもなる。一方、ウクライナ側が正義を死守し、悪に勝利するまで戦い続けるならば、ウクライナ側にも多大な犠牲が出てくるだろう。戦闘で敗北を絶対に甘受しないプーチン大統領は状況が危機となれば大量破壊兵器の使用も辞さないかもしれない。そうなればこれまで以上の大惨事が予想される。

ここまで考えてくると、「善」と「悪」の世界に生きる宗教指導者のフランシスコ教皇にとっても国際法上からみても正義の立場にあるウクライナに白旗を掲げて、というのは心苦しいことだろう。しかし、現段階でそれ以外のカードがない場合、白旗を掲げ、可能な限りの有利な交渉をするために欧米大国の支持を受けてロシアと交渉テーブルに着くべきだ、というフランシスコ教皇の論理はある意味で理にかなっている。

誰でも勝利を願い、敗北を嫌う。国家同士の戦いでも同じだ。ただ、完全な勝利が期待できない状況ではやはり妥協と譲歩の原理に基づいた交渉に応じる以外にない。プーチン大統領は世界に多大な損害を与えてきた。ロシア民族に対しても、自身に対してもだ。ウクライナ戦争でプーチン大統領の国家指導者としての評価は地に落ちた。もはや回復できない。ロシアではポスト・プーチンが始まるだろう。

一方、ゼレンスキー大統領は正義、公正を前面に出さず、停戦と和平の実現に乗り出すべきだ。正義と公平の立場にある者が犯しやすい過ちは、自身が悪をやっつけるという傲慢さとそれで生じる勇み足だ。3年目に入ったウクライナ戦争はウクライナ側につらい決定を強いてきている。「白旗を掲げる」には勇気はいらない。歴史的大局に基づいた冷静な判断だ。

編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年3月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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