さらには、批判者に対しては「博士号もないのに偉そうなことを言うな」といった謎の反応である。

こうした雰囲気の中で、与党の政治家が、テレビでイスラエルのプロパガンダを妄信的に広げる発言を断定的に行っている。シファ病院の地下にハマスの司令部などは見つかっていない。ガザで数万人が殺されている軍事行動を正当化し、扇動しさえするような発言をしておきながら、しかしもちろん政治家の方は、責任をとるつもりがない。

それどころか、今後は気を付けるといった反省すらしない。「何を言っても、自分は常に責任がない、だからこれから無責任な発言を続ける」という政治家の態度を、メディアも受け入れる。「面白いか否か」の基準しか持っていないからだろう。ガザで何万人が殺されているかどうか、などということは、日本の政治家にとってもメディアにとっても、「盛り上がるかどうか」ということ以上には、何の意味もない情報でしかないのだろう。

SNSで活発な誹謗中傷活動をしている者たちの多くが、特定政党の党員を堂々と主張し、それを根拠にした威嚇をする現象も起こっている。恥ずかしくないのかと思うが、それどころかさらに組織的活動を充実させて、気に入らない相手をどうやったら社会的に抹殺できるかどうかを相談する以外のことをやっていない。

イスラエルの苛烈な軍事行動は収まりそうもない。

こうした世紀末的な状況に直面して、私のような年寄りなら、自分の残された人生を恥ずかしくなく生きることだけを考えるだけだ。

だが若者は違うだろう。日本の若者の立場に立ちながら、なお絶望だけを感じるのではない未来を構想するには、どうしたらいいのか。厳しい状況だ。

戦争の地政学 (講談社現代新書) 篠田 英朗

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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