ロスアンジェルスの知り合いと電話で話していた際、話題になったのが「介護」。ロス地域は日本人、日系人のメッカでありますが、日系の介護施設が十分ではなく、一定年齢の方がやむなく日本に帰国する選択肢をしているケースあるとのことでした。
一般的な介護施設は北米にも数多くあります。しかし、「日系の…」となると少ないのです。ではなぜ日系にこだわるのでしょうか?それはサービスの問題。例えば食事がMac and cheese にサンドウィッチ、オートミールばかりだったらどうしますか?北米の人はそれが食生活なのですが、日本人はコメが食べたい、味噌汁が飲みたい、です。が、それが提供されないのです。
日本式の脳トレは日本なら何処の介護施設でも当たり前にやっていることでしょう。当地では少ないと思います。脳トレという言葉がつかえないのは国際的には脳トレによる医学的効果の見解が学術的に定まっていないからです。よって脳トレによる効果が一切謳えないわけです。日中のプログラムでも日本の歌を歌ったり、詩の朗読であったり、日本の映画を観るといったことはローカルの施設ではありません。
サービスも画一的、均一的です。200-300床あり、様々な背景の方々がそこで世話になっているとすれば特定のエスニック(民族)のサービスを提供することはほぼ無理。とすればやっぱりサンドウィッチの日々が待ち構えているわけです。ところが高齢になれば「子供返り」しやすくなり、我儘になったりします。「こんなところにはもう居たくない」と。
なぜ、北米に日系の介護施設が無いのか、答えは簡単です。施設を誰がどうやって作るかという問題と出来ても人材がいない、に尽きるのです。労働力についてはカナダはそれでもまだ労働者確保の手段がいくつかあります。カナダで看護師になりたいと夢見る日本の看護師は常時流入しています。理由はそういう門戸と学校があり、看護師になって移民が取れる道筋もあるからです。そのプロセスは長いのでその間に介護士をやってもらえればよいわけです。
一方、アメリカではそのルートがほぼないと理解しています。つまり日本人にとってアメリカは入口が高く、成功への道のりの第一歩というイメージがあり、活躍できる世代にはうってつけですが、老後はアメリカンになれるか、という判断を迫られるわけです。アメリカの医療のコスト、あるいはカナダの医療プロセスの遅さを考えると「日本がいい」という選択は賢明であり、やむを得ないとも言えるのです。
我々が今、開発しているグループホームも苦労の連続です。施設を作るのに土地取得後、役所の議会決議を4回経て、許可申請からカウントすると許可だけで2年かかっています。工事期間中の現在も苦労の連続ですが、ボディブローのように効いたのが運営許可取得。「簡単だよ」という言葉に騙されて申請をしたら州の担当者から書類上の要件を全く満たしていなくて呆れられました。そこから必死のリベンジで州担当者が驚くほどのペースで作り上げた英語の運営マニュアルは20数本。州の担当者は一字一句までチェックしながらようやく許可委員会に上程されています。