不幸を引き算する
その一方で、不幸や不快を引き算すると人生は大きくポジティブな影響がある。
自分の気質としてチームワーク、会社勤めにまったく適正はなかった。サラリーマンを下に見ているわけではなく、あくまで向き不向きの話だ。会社員の頃、努力してなんとか弱点を克服しようと努力をしていた。自分の苦手なことを上手にやってのける同僚や上司は尊敬してたし、今でもその気持ちは変わらない。人間は自分ができないことができる人にリスペクトを払うものなのである。
苦手の克服を試みてできる限り何年も頑張ったが、最後はそこから逃げるようにして起業した。結果としてそれが良かった。自分が苦手なことを片っ端から引き算していった今、ストレスを感じることがほとんどない。月曜日の朝、雨が降る日の満員電車はいつも嫌だったし、飲み会は叱られたり上司にお酌係になるので気が重かった。しかし、引き算してそういった要素もゼロになったので、「明日は気が重いな」ということは今の生活をする上ではまったくない。
もちろん、それだけで「人生の幸福」ということではない。マイナス要素がないということは、「0(ゼロ)フラットな状態」ということであり、何もしなければ退屈を覚えて、それはそれで辛い。だから毎日、自己実現欲求の活動の一環で必死に勉強をして働いている。
そして不幸な状態を引き算したら、今度は幸福を足し算する余白ができる。幸福といっても派手なものはなにもない。平日午前中から、書店や図書館に出かけて素晴らしい書籍を探したり、夕方に子供と近所を散歩するようなものである。派手さはなくとも、フラットな精神状態であれば些細な幸福を楽しめるのである。おそらく、強いストレスを感じている日々だと、もっと強い刺激を求めてしまうだろう。
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「FIREをして幸せになろう」といった主張が流行った時期があった。今でも一部の人達はFIREがまるで人生のゴールであるかのように捉えて、必死に蓄財に励んでいる。だがやればわかる。FIREはゴールではなく始まりに過ぎないと。人生からあらゆる不快感を取り除いた結果、そこからは小さな幸福の1を足していく作業が待っている。
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