黒坂岳央です。

「もっとお金があれば、時間があれば自分は幸せになれるのに」

誰しも一度は通る道ではないだろうか。自分自身、そのように強くそう感じていた時期があった。しかし、ある程度余裕を得て分かったことがある。人生の幸福はより良い何かを足すのではなく、不快な引き算の結果作られるものなのだ。

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足してもすぐに慣れて飽きる

人間は慣れ、そして飽きる動物である。高級タワマン、高級車、高級ホテル、高級レストラン、このような固定費、変動費に関わらず「幸福を”足す”発想」では恒久的な幸せを掴むことはできない。否、逆に一度手にすると今度はそれ以下のグレードを「不幸」と感じる余計なボーダーラインさえ覚えるだろう。「高所得貧乏」という現象もこれで説明がつく。

たとえば月収100万円、世間的に見れば大変高収入である。しかし、人間は手元の資源をあるだけ全部使ってしまう、というバグを持っている(パーキンソンの法則)。そのため、月収20万円の時でも上手にやりくりしていた人が、月収100万円になって80万円余らせる代わりに、生活水準を引き上げてあるだけ使い切ってしまう(話を単純化するため税金は考慮しない)。その後、リストラや企業の業績不振で月収が50万円になっても、おいそれと生活水準を落とすことができずキャッシュフローが破綻してしまうという話だ。

「元々は月収20万で生活していたなら、収入の変動に応じて戻ればいいのでは?」と思うかもしれないが、それはなかなか難しい。足し算で得た幸福にはすぐに慣れ「新たな基準値」となってしまうため、そこを下回ると今度は「不幸」に感じてしまうためである。

自分自身、生活水準は昔からあまり変わらないが、変動費には変化があった。20代の旅行は車中泊やドミトリー、ネットカフェばかりに宿泊していたが、今は非日常感を体験するために少しいいホテルに泊まるようにしている。自分一人だけならなんの抵抗もないが、家族旅行で20代の時のような旅行をさせてしまうとなれば、それは自分自身への敗北感を覚えるだろう。