オーストリア教会の最高指導者シェーンボルン枢機卿はウィーン市のメトロ新聞「ホイテ」に「聖体祭とは」といったテーマでコラムを掲載している。そこで聖体祭の意義、由来などを紹介していた。
ところで、欧州のキリスト教会では聖職者の未成年者への性的虐待事件の多発、不正財政問題などで信者の教会離れが急速に進んでいる。オーストリア、そして隣国のドイツでも教会から脱会する信者は多い。ドイツ福音教会(EKD)によると、プロテスタント教会は昨年、約59万人が減少した。2023年末時点で、EKDの20の地方教会に所属している信者数は約1856万人だ。ドイツでは新旧両教会を合わせると、ここ数年間、年100万人前後の信者が教会から去っている。一方、オーストリアではあと10年もしないうちに、カトリック教会の信者は国民の50%以下になると予想されている。当方が1980年にオーストリアに初めて入国した時、国民の80%以上がカトリック信者だった(「宗教改革者ルターが怒り出す『報告書』」2024年1月28日参考)。
21世紀の今日、生きたイエスの聖体を崇敬する「聖体祭」はいつまで教会の祭日として祝われるだろうか。12月8日の「無原罪の聖母マリア」の祝日では、カトリック国では会社、学校は休みとなるが、「人々がプレゼントを買う絶好の時季のクリスマス営業にマイナスが大きい」という理由から、12月8日の祝日に商店のオープンが可能になったいきさつがある。社会の世俗化の波は激しい。その中で教会の祝日が生き延びていくことが出来るだろうか、と考えざるを得ないのだ。
聖体祭を含め、宗教的祭日、式典、儀式にはそれなりの意味と意義があることは間違いない。宗教的儀式には人間の本源的な願いを目覚めさせるシンボル的な意味が含まれているように感じる。アイルランド出身の作家オスカー・ワイルド(1854~1900年)は死の直前、その式典の美しさゆえにカトリック教会に改宗している。教会の中には歴史を通じて洗練されてきた式典、儀式が多い。無形な神について、聖画などを通じて具象化されてきた。式典、儀式もその一つの表現方法だろう。パンとぶどう酒をイエスの聖体として拝領する「聖体祭」は非常に創意性がある。「堕落した世界」から「神の世界」に戻る一種の血統転換の儀式といえるだろう。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年5月31日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。
提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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