キーンの英訳は以下のようになっている。
shizukasa yaHow still it is here-
iwa ni shimiiru
Stinging into the stones
semi no koe
The locusts’ trill.
上の句は散文表現であり、文字通り直訳に近い。せみはcicadaだが、米語ではこのようにlocustになる。A cicada shrills.(せみが鳴く)。ないしは、A lot of cicadas are chirping noisily.(せみが盛んに鳴いている)。しかしtrill(震え声で鳴く)が使われている。すなわちsing with a trembling, vibrating soundなのである。
英語表現でも意味は伝わるが、「さび」はもちろん分からないし、「動静一如」も読み取れない。
<荒海や 佐渡によこたふ 天河>
最後に「三三 越後路」<荒海や 佐渡によこたふ 天河>を取り上げておこう。
araumi yaTurbulent the sea-
Sado ni yokotau
Across to Sado stretches
amanogawa
The Milky Way
頴原・尾形の「評釈」では、「悲しい流人の島として知られる佐渡が島が遠く横たわり、銀河が白くその上にかかっている。空の二星も公会をとげるというこの夜、・・・・・・(中略)ひとり北海のほとりをさすらう自分の心もしめつけられるような思いがする」(同上:119)とある。
後半の「発句評釈」では、「この句は芭蕉の作中でも人口に膾炙されたものの一つであり、豪壮雄渾な調べをもって称されている。まことにわずか十七字中に天地の大景を叙べ得た手腕は驚嘆に値する」(同上:207)と激賞してもいる。
小西は「同じ荒海でも、日本海は、太平洋岸とちがって、何か暗さがある。その暗さは、夜、浪音を聴くだけでも感じられる。それを頭におかないと、この句のすばらしさが何割減かになる」(小西、前掲書:143)と書いた。
十七字の俳句でさえこのような技量をそなえた俳人がいるのだから、三十一文字の和歌ではもっと多彩な表現が可能であり、読み手の力量次第で歌人の解釈やその鑑賞のレベルは変化する。
歴史の目として「時系列」に見ていくここでは素人なりの視点で、高田の「感性」を探るためにその和歌集を繙いてみよう。その際には、小西が俳句の鑑賞に当り強調した「歴史の眼」を活かすことにした。
「或る句が、その作家のいかなる時期に作られたかは、それを鑑賞批判する上に、重要な発言権を持つ」(小西、前掲書:4)は、俳句だけではなく和歌でも同様だと信じるからである。
『古今和歌集』の[仮名序]の冒頭また『古今和歌集』の[仮名序]の冒頭には、「和歌(やまとうた)は、人の心を種(たね)として、万(よろづ)の言(こと)の葉とぞなれりける。世の中にある人、事(こと)・業(わざ)しげきものなれば、心に思ふ事を、見るもの聞くものにつけて、言ひいだせるなり」(佐伯梅友校注『古今和歌集』より)がある。
詠み手の心情を見聞した事物に託して表現する(現代語訳)和歌は、人のこころを種として、多くの言葉となったものである。この世の中に生きる人はいろいろと関わり合うことが多いものだから、それらによりあれこれ思うことを、見るものや聞くものに託して、歌として表現するのである。
わざわざ紀貫之が「仮名序」の冒頭で書いたように、和歌とは詠み手の心情を見聞した事物に託して表現する行為である。
高田作品もまた「人の心を種(たね)として、万(よろづ)の言(こと)の葉」で表現されている。高田の研究・教育を主体とした生活の中で生じた心情は、ことごとく見聞した事物や経験に託して歌の世界に表されている。次回以降、それらを見ていこう。
(次回につづく)
【参照文献】
芭蕉1689=1967,頴原退蔵・尾形仂訳注『新訂 おくのほそ道』角川書店.芭蕉1689=2007,ドナルド・キーン訳『英文収録 おくのほそ道』講談社.
小西甚一,1952=1981=1995,『俳句の世界』講談社.
Langer,S.K.,1957,Promlems of Art. Scribner.(=1967 池上保太・矢野萬理訳『芸術とは何か』岩波書店.
佐伯梅友校注,1981,『古今和歌集』岩波書店.
高田保馬,1961,『望郷吟』日本評論新社.
高田保馬,1949=1971=2003,『社会学概論』ミネルヴァ書房.
Urry,J.,2016,What is the Future? Polity Press Ltd.(=2019 吉原直樹ほか訳『<未来像>の未来』作品社).
Weber,M.,1922,‘Soziologische Grundbegriffe,’ Wirtschaft und Gesellschaft , Tübingen, J.C,B.Mohr.(=1972 清水幾太郎訳『社会学の根本概念』岩波書店).
柳田國男,1990,『柳田國男全集12』筑摩書房
提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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