「一年の計は元旦にあり」といわれ、抱負を立て、目標を設定し、さぁ、やるぞ、と思っても成人の日がある1月半ばの三連休には既に過半数の人が目標から脱落している、というのが私のざっくりした感覚です。

ましてや1年を通じて計画通り、あるいは目指すゴールにおおむね達成したという方はごくわずか。その上、一人の人を取り巻く環境は社会人として業務目標から個人のこと、家族のことを含め、切り口は非常に多く、目標のどれかが達成しても全然ダメなものもあるわけで全体をバランスよく達成するには思った以上に困難であります。

baona/iStock

自己啓発で自分を押し上げようという場合はどうでしょうか? 自己啓発を英語に直すとself-enlightenmentが主流でself-developmentとは違うと私は考えています。

何が違うのか、これは学者が好む議論ですが、developmentは新たになにかを作ることに対してenlightenmentは個人が持つ埋もれている能力や才能を引き出し、磨きをかけるという意味に近くなります。つまり、自己啓発とは何か新しいことをやるというより自分が持つ能力を見直し、自分自身の質を高めることが大事なのです。

たとえば私は人生の成長を「木の幹」に例えます。もしも毎日会社業務で疲れたと言いながら月曜から金曜を惰性で過ごし、土日は疲れを癒すだけの生活をずっと続けていればこの人の木の幹は全然太くならないのです。つまり、年輪が育たないまま、年齢だけが増えていくのです。

そうではなく、日々の会社業務で疲れるなら、どうやったらそれが楽になるか、どうやったたら刺激的な生活が送れるのかを工夫をし、実行することで自己啓発されるのです。隙間時間の活用も重要です。なにも自分に無縁だったことを突然やるのではなく、自分の日々の生活を改善することから始めるのです。

お金がない、といつも呟いているとします。お金がないのは理由があるのです。入りと出のバランスが悪い、それに尽きます。改善するには入りを増やすか、出を減らす、これしかないのです。

「そんなの、出来ない!」と仰ると思います。嘆く前にひとつヒントです。自分で家計簿を1年間つけてみてください。そして毎月必ず、前月の成果をなめるように見るのです。12か月もやれば自分の傾向がよく見えて、「こんな無駄があった」「こうやったらもう少し、お金を増やせるかもしれない」と気づきが入ります。私はもう何十年もつけています。故に気がつき、改善するのです。その行為こそが自己啓発なのです。自己啓発セミナーに行くのが気づきではないのです。