その中で私が注目するのは寿司屋のカウンターで食する価値を職人も客も理解した上で維持し楽しめるのかであります。私の友人は寿司の世界では相当のレベルだと思いますが、彼がこだわるのは握って30秒以内で食べる桃源郷の世界とも言える寿司です。彼はそれ以上時間が経つと持ち帰りすしと同じ鮮度に落ちると考えています。例え話ですが、こんな例は寿司を握る技術だけでは成り立たないのです。つまり昭和も平成も関係なし、モテるチカラの掛け合わせです。

私は日本のバブル崩壊と共にカナダに渡り、それ以降、日本の経済メディア、特に日経と日経ビジネスだけは欠かさず読み続けてきました。その間、日経は何度も「変わるニッポン」を提言をしてきたのですが、ほとんど当たらなかったのも事実です。なぜ当たらなかったかと言えばその前提は日本人や日本企業が変わることになっていたのです。実際には昨年の謝罪文化を見てもわかる通り、何も変わらなかったのです。

技術は進歩し、世界も変わり、日本の立ち位置もずいぶん変わっていく中で頭の中では気がついたけれど実行できない、これが実態ではないかと思うのです。あるいは背中を押す人がいなかったということもあるでしょう。

私は昭和が、とか平成が、という括りではなく、日本人が地殻変動の様な大きな変革を受け入れることが重要だと思っています。日経の執筆陣に敬意を表すならば「昭和の蓋を取り除け」なのでしょう。そういう意味でも若い人たちが声を上げ、昭和と平成が融合し、新たに生み出す日本に期待をしたいと考えています。

では今日はこのぐらいで。

編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年1月4日の記事より転載させていただきました。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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