日本経済新聞が年末から予告を含め、力を込めて発信始めたのが「昭和99年 ニッポン反転」です。就職試験では何かと注目される元日の日経のトップにその年の経済を占うという考えが未だに残っているのだとすればこれを読んだ若者は何をどう感じるのか気になりました。

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元旦の一面トップほぼ全面を使った特集の基調トーンは「解き放て」であり、「昭和よ、さようなら」です。この「さようなら」の部分が人的な交代時期にあることのみならず、社会システムや考え方、ビジネスアプローチまで変革の時期にあると捉えています。

私も人的な交代時期にあるという点はこのブログでも時折申し上げてきました。ただ、私の正直な意見は日経のこの特集はやや違うのではないかと思います。1つずつ記載されている内容は何一つ否定するものではないのですが、平成生まれの人たちが突如変わり、何かを生み出すのか、というのが疑問なのです。

現生人類であるホモサピエンスは数十万年前に現れ、その後、ゆっくりと進化してきました。我々が歴史を学ぶ中において理解している歴史はせいぜい紀元前に少し踏み込んだ程度からあとです。歴史として学んだのはわずか2000年強でしかなく、30-40万年の人類の歴史の中でわずか0.5%程度の部分でしかないのです。つまり人間の進化という点ではさほど急速に変化したとは言えないのです。

私は自然科学の学問は実験ができるが、社会科学は実験が出来ないと申し上げました。ただ、長い時間のスパンであれば多少の実験は可能です。例えば欧州の歴史を語るにおいてアテネやローマの時代以降、戦争を抜きには語れません。しかし、2回の大戦を経てさすがに懲りたのです。これは歴史の教訓であり、学びです。

では明治時代から今日に至る日本の変化ぶりは何だったのか、といえばそれは「外部による破壊」と「経験」と「気づき」だと考えています。その歴史的ポイントは3度ありそうです。初めが明治維新と開国、2度目が大戦と敗戦、3度目がバブルとその崩壊です。バブル崩壊については外部による破壊が伴っておらず、違うのではないか、とも考えられるのは承知していますが、経済的破綻とは別に人々の価値観を含めた生き方に「気づき」を与えたという観点で考えると私はやはり歴史的ポイントだと考えています。

日経が「昭和99年」という括りで語る論調の背景は「バブル経済が昭和のほぼ最後に起きた絶頂期」、そしてその後、大きく変わった社会的意義と価値観が頭をもたげたことを意識しています。取りようによっては日経の主張は今こそ歴史的変換ポイントではないかとも聞こえます。しかしそうだとすればそれはきっかけがいつだったのか、という点では同意しにくいですよね。

私は昭和が99年になろうが120年になろうが、日本人の本質的メンタリティは変わらないだろうと思うのです。よって「昭和よ、さようなら」となっても「平成さん、よろしくね」にはならないのです。そうではなくて、昭和の人が現代の考え方に合わせる努力をし、昭和と平成が手と手を取り合う社会の融合こそが日本に変革をもたらすと考えるのです。

寿司は日本の文化そのものですが、寿司職人になるのに10年の修業がいるのか、いらないのか時折話題になります。寿司そのものは大きく進化しつつあり、お正月の出前で取るような松竹梅の寿司は確かに昭和の匂いであります。回転寿司も本質的には昭和の域から出ません。一方で価格は高いですが、こだわりぬいた芸術に近い寿司があちらこちらに生まれています。