見ない勇気

一方で、すべての情報に目を向けることが常に良いわけではない。特にインターネットやSNSが普及した現代では、ただただ不安や怒りを煽られ心が傷つく情報や間違った方向へミスリードするような情報で溢れている。これらの情報に振り回されることなく、自分にとって不必要なものは避ける「見ない勇気」もまた、精神的な健康を保つ上で重要である。

例えば、ネガティブなニュースやSNS上の攻撃的なコメントは、見ることでストレスを感じることが少なくない。悲劇的なシーンをエンドレスリピートして、いかに世の中が恐ろしくて悲劇的か?という負の情報を脳内に刷り込む活動に一切のメリットはない。そんなニュースを追いかけるより、きれいな花や空を見て心が癒やされる方がよほどいい時間の使い方だろう。

他の事例としては悪口や批判である。名前が知られるようになれば必ずといっていいほど、自分を批判する声が出てくる。だが気になっても積極的に自分の悪口を検索する「エゴサーチ」なども勧められない。明らかに法的なラインを超えているブランディングを揺るがすような事実無根の悪評や誹謗中傷は別途、訴訟などの措置が必要な場合もあるかもしれないが、軽い悪口にいちいちそこまでできない。悪口を自ら探しに行って心を傷つけることに論理的メリットはなにもない。だったら何もしないほうがいい。

最後に他人と比較して嫉妬の炎に火をつけることの愚かさである。これほど無意味極まりないものはなかなかない。世の中は承認欲求の飢えと怨嗟の声で溢れている。堂々と自慢しているケースばかりではなく、一見自虐風に見せて本音では自慢したいオーラに溢れているものもありなかなか見極めが厄介だ。

いずれにせよ、世の中には自分よりはるかに恵まれた環境や才能に溢れた事例を数多く見てしまうと、どうしても自信が引っ込んでしまう。なら最初から他人との比較なんてしない方がいい。一部のプロアスリートやビジネスプロフェッショナルは別かもしれないが、ほとんどの人は他人と競争して勝つよりまずは自分自身との勝負に勝つだけで十分である。だからキョロキョロと自分より優れた他人を見よういとしない、積極的に興味を持たないようにすることには価値がある。

「見る勇気」と「見ない勇気」の間には、微妙なバランスが存在する。重要なのは、自分にとって何が必要で、何が不必要かを理解し、その上で適切な判断を下すことだ。多くの場合、見なくていいものを見ようとして、見ないといけないことから目を背けてしまうが、その逆をやれば人生は開かれていくのではないだろうか。

 

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