決議はドイツとルワンダの提案による。ドイツのリンデルツェ国連大使は決議の目的について「犠牲者の記憶に敬意を表し、破滅的な時の傷を今も抱える生存者を支援するため」であり、「免責と闘い、ジェノサイドの説明責任を追及する国際法廷の役割を強調するものである」と説明している。決議はセルビアを含む特定の国に向けたものではなく、「ジェノサイドの実行者に向けたものと言える」。セルビアのブチッチ大統領は、決議は「非常に政治的な動きだ」と批判した。
国連が設置した「旧ユーゴスラビア国際刑事法廷」(1993-2017年)は旧ユーゴ紛争での人道犯罪を裁いた。ブチッチ大統領は法廷の場でスレブレニツァでの犯罪行為が既に裁定済みであると述べ、「この決議は『パンドラの箱』を開けることになる」と主張した。
セルビア側は決議がセルビア人に「集団的な罪悪感」を科すものであるとして、採択への反対運動を行ってきた。2010年、セルビア議会はセルビア軍勢力によるスレブレニツァで発生した犯罪を非難し、大量殺害を防ぐために全力を尽くさなかったことを犠牲者に謝罪する声明を出した。この時、この「犯罪」は「ジェノサイド」としては表明されなかった。
スレブレニツァを訪ねる国連の決議が行われた日の翌日となった5月24日、筆者はスレブレニツァを初めて訪れた。会員となっている国際新聞編集者会議(IPI)の年次総会が丁度ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボで開催されており、一歩足を延ばした格好だ。
ツアーに申し込み、ガイド兼運転手の男性と筆者を含む3人の参加者が1台の車に乗り合わせた。サラエボからスレブレニツァまで、車では2-3時間を要する。
ガイドのベダド・ハスターさん(写真下)は「サラエボ生まれサラエボ育ち」。1982年に生まれ、ボスニア紛争発生時は10歳だった。「戦争を生き延びた」という。どの民族かは語らなかったが、旧国立図書館の前を通ると、「この中にあった200万点もの本や資料が破壊された。信じられるか?」と問い掛けてきた。1992年8月、セルビア人武装勢力の攻撃を受けたためだ。