太宰治、石川啄木、有島武郎…文豪たちの悩みや苦しみが、そっと寄り添ってくれる著作「文豪たちの憂鬱語録」を紹介します。
「文豪たちの憂鬱語録」(豊岡昭彦、高見澤秀編著、秀和システム)
[本書の評価]★★★★(80点)
【評価のレべリング】※ 標準点(合格点)を60点に設定。 ★★★★★「レベル5!家宝として置いておきたい本」90点~100点 ★★★★ 「レベル4!期待を大きく上回った本」80点~90点未満 ★★★ 「レベル3!期待を裏切らない本」70点~80点未満 ★★ 「レベル2!読んでも損は無い本」60点~70点未満 ★ 「レベル1!評価が難しい本」50点~60点未満
人は誰もが憂鬱と悲哀を抱えて人生を生きています。青森で生を受けた太宰治の本名は、津島修治。津島家は大地主であり、父も名士として知られていました。太宰は学校の成績も優秀で、弘前中学に進学。当時は旧制中学への進学率が5%程度と言われていた時代です。家柄に恵まれたこともありますが、太宰少年はかなり頭がよかったのです。
その後、旧制弘前高校に進学。ここで文学に出会います。後年に師事する井伏鱒二や、逆に猛批判することになる志賀直哉を愛読。中でも、太宰少年の心をとらえた作家は芥川龍之介でした。在学中に芥川が死去したことで、太宰は絶望への第一歩を踏み出します。
1933年ごろから執筆活動を本格化させ、1935年には第1回芥川賞候補になります。この頃、「新聞社の入社試験に落ちて自殺未遂」「腹膜炎の手術からパビナール中毒に(鎮痛剤のパビナールの依存症)」「芥川賞に落選して選考委員の川端康成に激怒」「妻が不倫したことから夫婦で心中未遂 (後に離縁)」など、よく知られる太宰像がほぼ完成します。
1938年の結婚を機に文士としての活動が動道に乗り始め、数々の名作を生みます。終戦後、太田静子との再会や山崎富栄との出会いを経て、既婚の身でありながらそれぞれと恋に落ちます。1948年、富栄と玉川上水に入水。38歳没。自己破滅的な一生を送った太宰だけに、名言の数々は他を圧倒しています。
太宰の真骨頂となる名言