石破首相がAPEC会議を通じて各国首脳と次々と会談をこなしました。また南米での会議の帰途にトランプ氏にご挨拶会談を申し入れていましたが、スケジュールのやりくりを理由に断られてしまいました。
石破氏はもともと中道からややリベラルなので習近平氏とはスムーズな会談ができたようです。こちらは11月12日付の当ブログで「個人的には習氏は石破氏に接近するかもしれないとみています。自民党軟弱派であれば石破氏が強硬派を説得して中国に利する形にしてほしいと望むでしょう」と述べていました。ほぼ予想通りの展開です。話すテンポも石破氏と習氏は波長が合ったのでしょう。
外交関係は国家のトップの思想と行動力と発言力、組織力でかなり振れ幅が生まれます。例えば安倍氏は日本のプレゼンスをいかに高めるか、日米関係の需要度をいかにより緊密にするか、という命題をもって政権運営をしました。岸田氏は基本的に外国の首脳陣と接点を持つことが大好きでした。一種の趣味の世界。岸田氏に運があったのはアメリカの相方がバイデン氏だったことでリベラルな関係の中で上手に関係構築ができたのだと思います。
しかし、長い日米関係の歴史を考えると多くの日本の首相にとってその日米のトップ同士の関係維持は極めて難しい課題でした。それでも昭和の時代は世界の勢力地図がより単純だったこともあり、日本は外せない相手だという意識が前提にあったと考えています。特に米ソ冷戦時代において日本は世界の共産化に対する橋頭保の一つでした。朝鮮半島でのバトルは日本が「後背地」的役割として食い止めるという明白な命題がありました。更にはベトナム戦争もアメリカから一気にベトナムに行くには当時は厳しかったわけで日本の存在は補給などの面を含め、極めて有効でした。
現代における日米関係をみても識者やメディア、政治家は「日米関係強化論の一辺倒=反中国の図式」が単純化された形として頭に刷り込まれています。ただ、個人的にはアメリカはかつてのアメリカではないことを強く感じています。つまりどんなアメリカにも日本は追随するのか、というのが私が皆さんに問いたい点であります。