龍口直太郎訳『フォークナー短編集』 新潮文庫、189頁 (強調を附し、段落を改変)
何人もの黒人奴隷を従える大農場主だったサトペン大佐は、南北戦争で没落し、その使用人にすぎなかった主人公ワッシはますます惨めになる。しかしワッシは自分のつらさを、サトペンを「南軍の勇将」のように神格化することで埋め合わせ、ほとんどひとりカルトみたいになってゆく。
もちろんそれは妄想なので、ろくでなしのサトペンはなんとワッシの孫娘(15歳)に手を出し、妊娠させる。近所でも「まさか孫まで差し出すとは」と噂になる。しかし、陣痛で孫娘がうめくのを聞いても、「サトペン信者」であるワッシの胸中はこんな感じで――。
孫むすめの声が時計じかけのようにたえまなく聞えてきたが、一方、思いはゆっくりとすごみを帯びて流れ、模索しつつもそのなかのどこかに疾駆する馬蹄のひびきをひめているのだった。
そしてついには、突如としてその疾駆のひびきのただなかに、疾走する、美しい、誇らしげな種馬に乗った男の、りっぱな、誇らしげな姿がはっきりと現われたかと思うと、やがて、かの思いが模索していたものも、また姿を現わして、まったく明瞭なものになるのだった。
それは〔妊娠させたことの〕弁明のためや説明のためでさえもなく、孤独な、説明のできる、人間の手によるあらゆるけがれを超えた神の姿として現われるのだった。
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やばい。でも、人って往々にして、こういう状態になっちゃいますよね。
出産は無事に済むのですが、しかしその直後、サトペンがワッシの幻想を崩壊させるふるまいをする。信じてきた最後の生きがいを打ち砕かれたワッシは、まずサトペンを殺し、次いで孫娘と赤ん坊も手にかけ、小屋に火を放ち、逮捕に来た地元の住民たちに向かって吶喊する。