ついに今年10月から「インボイス制度」がはじまりました。
それについてなんか今、「クリエイター vs. サラリーマンあるいは経営者層」とか、なんかそういう感じでSNSで仁義なきバトルが発生してるんですけど。
ただ僕自身はキャリアが独特すぎる分、今まで他人の無理解でヒドイこと言われる体験をしすぎちゃってて、前回記事のテレビ出演の話でも書いたように普通の人が「ここは怒るべきだ!」と感じるところでいまいち怒りを感じられないところがあって(笑)
だからそこに「感情的対立がある」ってことは頭では理解できていたけど、SNSでここまでバチバチにバトルになるような怒りのエネルギーが社会に渦巻いているのだ、っていうことを目の当たりにして、結構面食らっています。びっくりした。
でもこういう感情って切実なものだから、無視して「冷静になれ」って言うのも難しそうな感じはしますね。
で、たしかにね、
普段ガチガチにあらゆる収入を補足されて税金と社会保険料を完全自動で満額徴収されているサラリーマン層から見ると、インボイス制度に反対するとか『お前社会ナメてんのか!?』って気持ちになるのは一応わかる
…んですよ。
日本の税金にはトーゴーサンという隠語があって、サラリーマンは「10割」完全に収入を補足されて課税されてるが、自営業者は「5割」、農業所得者は「3割」程度の分だけしか課税されていない…とか言われている。
まあこの数字↑は結構古い話であって、今の多くの普通の小規模業者はもっと高い割合で捕捉されていると思いますが、それでも経費の使い方の自由度は断然高いですし、サラリーマン層から大きな不満が常に渦巻いているのは理解できる。
だから、今SNSで結構見るような、インボイスについて問題提起をするクリエイター層の一部に、やたら「普通の働き手」とか「日本の他の産業」をディスりまくるような事を言う人がいるんですが、そういうのはマジでやめた方がいいと思います。そこに踏み込んだらオシマイだよ、というか。
ただ一方でインボイスが、例えば日本のコンテンツ産業とか、あとその他色んな産業の裾野で「日本ならではのクオリティ」だと感じるような安定感を生み出していた構造を破壊する可能性があるっていうことを、「サラリーマン側」にいる人にもわかってほしくてこの記事を書きます。
そういう危険性がある事を理解せずに、ただ惰性でインボイス導入が進んでいくことになると日本社会は明らかにあまり良くない分断と末端の崩壊に繋がりかねないところがある。
一方で、「その課題」を理解した上で、協力しあって解決を目指す機運を作れれば、インボイス的なものが普及することは、「社会の末端でナアナアの甘えあい」で無理やり帳尻を合わせ続ける…的な、日本あまり良くない性質を脱却していく事に役立つかもしれない。
あるいは、その「課題」を理解した上で、それを協力して解決するなんて無理だから、やっぱインボイスは廃止にするべき…という意見もある意味でスジが通っている。
あなたの今の立場がどうであれ、どういう結論に至るのであれ、そういう「インボイスにまつわる多面的な問題」について一緒に考えてほしくてこの記事を書きます。
ちなみに、「そもそもインボイスって何なのかまだわかってない」という人もいるかと思いますが、そういう方は昔書いた以下の記事を読んでいただければと思います。
上記記事ではまずは前半部分で制度の趣旨について結構詳細に説明してあるので、「インボイスってなんだっけ?」という方は先に上記リンク先を読んでから戻ってきていただければと思います。
1. 日本社会の末端は「理屈通りにいかないこと」だらけ。この問題が紛糾するのは、日本社会で生きている人が「自分の身の回り」の基準で社会全体を見てしまうような部分にあるように思うんですね。
社会人になって「普通のしごと」をしていて、当然税金は払います、当然毎期利益を出していきます、みたいな環境で生きてきた人は、「それが当然」だと思っているところがある(まあ正論を言うともちろん”それが当然であるべき”なんですがw)
逆に私の謎キャリアのように、外資コンサルからキャリアをはじめた後、その後日本の中小企業の「色んな実態」を見る中で、直接のクライアントでなくても「かなりヤバい」社会の末端における状況をナマで見てきた、みたいなことがあると、
「日本社会の末端が”全然理屈通りに動いていないこと”」
…に対する「諦念」と「敬意」みたいなんが湧いてきてしまっている(笑)
なんか、SNSで「サラリーマン側」「普通の働き手の側」の人がインボイス関連で言ってる、
「たったこれだけの事務処理をするだけだろ?普通どこの会社だってやってることだろ?それに反対するとか社会ナメてんの?」
…みたいな話に同調する気持ちが、僕の場合結構摩耗しちゃってるんですよね。
そういう話の、さらにかなり「はるか手前」のナアナアさでとりあえず「こなして」「帳尻を合わせて」存在している会社が日本社会の末端には沢山ある…という実感が私にはあります(笑)
なんか、SNSとか「はてな匿名ダイアリー」とかで時々バズってる話題として、例えばあまり勉強が得意でない私大とかで、「理系の大学なのに因数分解の仕組みから教えなくちゃいけない時がある」みたいな話をして「ええ?そんなことってあるぅ?」って皆で驚くことになる…みたいな、そういう感じに近い話がここにはあるんですよ。
私の直接のクライアントとは言えないですが、仕事の関連で状況を聞いたある会社は、決算期のシメが終わってから下手したら2年ぐらい!とかしてやっと決算書作って申告とかしていて、
「ええー!そんな遅らせることってできるんですか?」 「なんかはやく作ってしまうとその期の消費税の請求が来るからわざと遅らせてるそうです」 「そんなことできるの?法人税の納付期限とかは?」 「ほぼ赤字の期が多くて消費税にくらべたら微々たるものだから、追徴課税されても来た時に払えばいいや、という感じみたいで」 「税理士さんはそれでOKなんですかね?」 「いやなんか、ずっと一緒にやってる税理士さんがいてそこに全部お任せの結果こうなってるそうです」
ちょっとそれを聞いた時の僕の唖然とした感じが↑伝わってきたかと思うんですが(笑)
「こんな会社ばっかり」とは言わないものの、「こういう会社結構ありそう」というのが私の実感なんですよね。
さらに言えば、上記の話聞いてわかると思いますけど、この会社消費税払ってるんですよ。
つまり今回のインボイスで問題になる会社というのは、「上記の会社よりもさらに小さい」会社の出来事なんだ、ということなんですね。(必ずしも規模が”マトモさ”と完全に比例するわけではないにしろ…)
SNSで
「普通の会社なら”どこでも”やってることだろ?反対するとかナメてんの?」
…みたいな事を言っている人は、
「いやいや、現状の日本の”普通の会社”でもそもそもやれてないとこいっぱいあるんですよ」
…という状況認識のズレがそもそも存在しているのだ、ということを、まず理解した上でどうするかを考えていくことが大事だと思います。
2. 「理屈通りにいかないこと」は悪いことか?良いことか?で!ここからがあなたの価値観によって判断が分かれるようなところだと思うんですよ。
そういう「理屈どおりに全然動いていない会社」に対して、日本社会は今後どう接していくべきか?という話ね。
「ルールを守れない会社は退場するべき」
…というのは、一応一つの考え方だとは思うんですが、それでいいのかどうか。
「角を矯めて牛を殺す」っていうコトワザがありますよね。
「なんかこの牛の角ちょっと曲がってるな〜と思って無理やり真っ直ぐにさせようとしていたら、結局その牛ごと殺しちゃった」という話のように、「細かいルールにこだわって無理やり直そうとしたら丸ごと死んじゃったりする」ことがあるから気をつけなよ
…という意味ですね。
そういう意味で、拙速に「ありとあらゆる細かいルール違反」を摘発していくと、マジで日本社会が成り立たなくなるレベルのダメージになる可能性はめっちゃある。
さっきの「決算のシメから二年後に申告してる会社」ですら、普通に見てると「まあまあ普通に機能してる会社」に見えるんですよ(笑)。社員数名と派遣の事務員さんとかいて、万年ギリギリ赤字体質とはいえ、売上で見ればちゃんと課税事業者になれるぐらい以上にはなっている。
そんな感じで、あなたが日常生活で出会っている、「こんな低料金でこんなサービスクオリティとか日本以外ありえないだろ」みたいな経済行為の、かなりの部分が、こういう「理屈通りには動いていない世界」によって帳尻を合わせられている可能性がある。
・水道工事とかエアコン取り付けとかの業者さんが時間どおりに来て当然のように高い工事スキルを持っている ・めちゃ細かく時間指定できる宅配便が、しかもダンボールに傷もつかないような丁寧な扱いで運んでくれる ・毎期物凄い作画クオリティのアニメがめっちゃ大量に見られる ・駅やビルや公衆トイレなどの掃除がめっちゃ行き届いている
こういう部分↑が、そういう「理屈通り動いてない」会社が帳尻を合わせることで成立している可能性は非常に高いんですね。
なぜなら、日本以外の多くの国では、上記のようなクオリティは「高いお金を払わないと得られないもの」になっている場合が多いからです。
それは、ある意味で日本以外の国は「末端まで理屈通り」動かしているからそうなっている…可能性は高い。
それをどうしていくのか?という視点で考えてほしい。
特に、財務省なのかなんなのかわかりませんが、このインボイス関連の制度を推進している中央官庁の人は、
「形式的な平等性」に几帳面にこだわりすぎて、上記のような「社会全体での相互扶助」「凹凸があって調和されている日本社会のありよう」に対して無理解すぎるところがあるなと私は感じています。
そういう「限界的な日本の会社」の独特なところは、
「理屈」には従わないけど、「他人に迷惑はかけない」という倫理観(笑)
…なんですよね。
そういう「理屈で言うとメチャクチャ」な会社が、結構勤労意欲自体はまあまあ高いというか、「仕事のサービスクオリティ」は手を抜かないみたいな形で日本社会に参加してくれてるんですよ。
「この程度の事務処理、みんなやってるんだからやれよバーカ」って言う人も、その人が普段恩恵を受けている「社会における日本クオリティ」が凄い廉価で提供されている事が、「理屈通りに動いていない人々」によって支えられているのだ、という因果関係を理解してほしいんですね。
さらに言えばその部分が、例えばアメリカとかでは本当に「反社会的」な暴力性として解放されてしまって、社会の半分が絶望的なスラムに飲み込まれていく結果になっている因果関係もあると思います。
だから、「社会の末端にいる人が、やたら反社会的な犯罪行動に出ないでいてくれる」という部分も、そういう「理屈通りには動いていない世界」が、「木の根っこが土を掴まえているので水害に強い」みたいなメカニズムで保持してくれてるんだな、という理解をしてほしいんですよね。
3. じゃあこのままでいいのか?で!
じゃあインボイスは廃止だ!日本社会はこのままナアナアにもたれあって相互扶助でやっていくのだ…でいいのか?っていうのも、個人的には迷いがあって。
というのは、そうやって「ナアナア」でやり続けているから、日本社会の末端では給料が上げられないし、長時間の過重労働が当たり前だし、っていう状況を変えられないという側面もあるんですよね。
ほとんど普通の経済行為としては成立していない業者が零細なまま、新しい技術も新しい工夫も取り入れられないまま、人手不足やインフレでだんだん同じやり方では同じクオリティを維持できなくなっていく状況の中で、ただただ頑張って長時間労働して…という状況が続いていくことになる。
それに、この記事冒頭で書いた「普通に収入の10割補足されて税金も社会保険料も払わされている層の反感」っていうのも、徐々に無視できなくなってきているしね。
そういう意味では、「こういう課題がここにはあるんだ」ということを明確に共有できて、工夫を出し合って解決していける機運が高められるなら、インボイス制度をその「変化のテコ」にできる側面はあるなと感じています。
さっき書いた「2年後にやっと申告する会社」、まだどうなるかわかりませんが、廃業する意志を最近固めたらしいんですよね。
で、それで日本社会が「めっちゃ困る」かっていうと、ぶっちゃけそうでもなさそうというか(笑)
むしろ社長さんも自分の家計から延々補填してなんとか「会社を潰さないように」とかしてきた苦労から解放されてよかったのでは?という感じがある。
従業員さんも、この超人手不足の今なら多分同業のどこかに潜り込んだりはできるだろうし、派遣の人は別のもっと給料出せるところに行けばいいだろうし、そういう「採算ギリギリ」でなんとかやってた会社が、より組織化されて効率よく業務を運営しているところにお客さんが移行していくのも経済全体として望ましいように思う。
だから、「いきなり理屈通りに全部やれ」という風にするのではなくて、「だんだん理屈が浸透する」ようにしていく事で、「望ましい変化」は起きるはずだ、という感覚も私にはあります。
アメリカは、もう徹底的に社会の末端まで無理やり「理屈通り」やらせた結果、「ナアナアに結びついて保持していた調和」ごと吹き飛んでしまって、社会の末端がかなり絶望的なカオスに飲み込まれてしまっている。
日本社会は決してそうならないように、「ちょっとずつちょっとずつ理屈と現実を混ぜ合わせていく」ようなことができれば理想ではある。
そういう意味では、インボイス反対派の人に頑張ってもらってるおかげでどんどん追加される「緩和措置」みたいなものを山盛りにしながら、徐々に「末端まで理屈どおりに」動くように変わっていくというプロセスが、日本社会にとって良い効果を持つ可能性はあります。
というか、「それが良い変化になるようなムーブメント」をしっかり作っていきたいと自分は思っている。
以下の私の本で詳しく書きましたが…
『日本人のための議論と対話の教科書』
日本の会社は、「小さい会社」の割合が大きすぎて(”中小”の比率で見るとそれほど大きくないように見えるが、その中での”零細”レベルの会社の数がむちゃ多い)、それが末端の低賃金が固定化される原因になっているという指摘はよくされているんですよね。
例えば「中小企業」とか言っても数十億〜百億円ぐらいの売上があれば、マトモなIT投資とかもできるし、優秀な経営人材と現場人材との違いを生かした連携とかも生まれるし、給料を持続的にあげていくための方策を一貫して打って行くみたいなことは結構できる。
でも、さっきの会社みたいに、「従業員数人、ほぼ毎年赤字、売上最大数千万程度、社長が個人的に金銭を補填してなんとか潰れてないだけ」みたいな会社の多くは、マジで未来がない、というか、「いやいや社長御本人のためにもそろそろ解散しなはれや」という感じで、こういう会社も日本には沢山ある。
冷たいようだけど「無理やり会社を守る」よりも、「個人の人生」を考えたほうがいい…という考えは徐々に普及してきている実感がある。
逆に、私の本に書いた「10年で150万円平均収入を上げられたクライアント」のようにマトモに経営力が発揮されている会社には、色んな「危機状態の会社」が持ち込まれて買収しませんか?みたいな話が結構来てるんですよね。
それも別に「会社」残す必要がなければ潰してしまって、人員だけ引き取るとか、そういうのも含めて適宜「マトモな会社」に吸収されていくプロセスは静かに進行中ではあります。
そうやって「大きな会社に吸収」されていくと、ある程度大きな会社ではあたりまえの、月次決算が即時出るとか、経費精算がシステム化されていて一瞬で終わるとか、そういう事からして、「すげー!!!!魔法か??」みたいな驚きになるそうで(笑)
そういう意味で、「零細法人のまま孤軍奮闘」よりは、もっと大きくて「ちゃんと経営されている」会社に吸収されてマトモな給料を行き渡らせる動きをちゃんとやっていくことが大事だと思います。
これは、漁業とか農業とかもかなりそういう要素はあるそうで…
私自身は詳しくないですが、日本の漁業はあまりに零細業者が放置されすぎていて、諸外国では当然の「ちゃんと投資して現代的な技術を使った漁法・あるいは養殖法」みたいなのが浸透していないために、とにかく乱獲が問題になっているとか。
ノルウェーに限らず、世界の養殖業は、エンジニアリングとスケーリングが前提にあり、誰でも回せる大規模システムが構築されている。日本の養殖業には、エンジニアリングが存在せず、労働集約的な小規模養殖業を職人芸で回している。両者の生産性は雲泥の差であり、後者が前者と戦うのは単に無謀です。
— 勝川 俊雄🐬 (@katukawa) September 28, 2023
この勝川先生という水産学者の人がよく言ってるんですけど、こういう分野も「徐々に理屈を末端まで浸透させていく」ことが必要なんだろうなと思っています。
ノルウェーの漁業も、昔の零細乱立状態が限界が来て倒産が相次いだ結果、むしろ急激に近代化されてマトモな給料とマトモな水産資源管理が行われるようになった経緯があるそうです↓
情報をありがとうございます。詳しい経緯がわかりました。経営が成り立つように大規模化を進めたノルウェーと、経営が成り立たない小規模をそのまま延命し続けた日本の違いが、今日の差を生んだのですね。 KrAPskv6
— 勝川 俊雄🐬 (@katukawa) September 28, 2023