TSMCが70%を持つドイツ子会社ESMCの新工場は総工費100億ユーロ、独自動車部品大手ロバート・ボッシュや独半導体大手インフィニオン、オランダの半導体大手NXP(フィリップス傘下)が各10%を所有し、ドイツ政府も最大50億ユーロを出資する。27年の開業時には月産最大4万枚のウエハー製造を目指すという。
この背景には、米国が自国の半導体産業振興策を打ち出す中、EU理事会と欧州議会がこの4月、現状約10%の世界シェアを30年まで倍増することを目指す「EU半導体法」を暫定承認したことがある。そこでは①半導体の研究開発や生産に対する財政支援策「欧州半導体イニシアチブ」、②半導体の生産施設の誘致に向けた優遇措置、③半導体サプライチェーンの監視と危機対応とすること、などが合意された。
TSMCのお膝元である台湾も7日、この世界企業を台湾に引き留めるべく「台湾版チップ法案」と呼ばれる産業イノベーション条例の改正法案を施行した。同法案は現状の実効税率12%に対して、革新的研究開発への支出には25%、先端プロセス製造工程の設備購入費用には5%の減税措置を行う。適用基準は研究開発費が60億台湾元(約270億円)、先端プロセス製造工程の設備購入費用が100億台湾元(約451億円)とのこと。
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斯くも世界中から引っ張り凧のTSMCを創業したモリス・チャン(張忠謀)について触れ、結語とする。
台湾の国際的な著名人といえば世界の多くの者が先ず李登輝に指を折るだろう。台湾では、李登輝を否とする者も少なくない一方、チャンを敬愛しない者はほぼいないと感じる。それは李登輝が台湾を民主化した政治家であるのに対し、チャンは台湾に富をもたらす経済人だからだろうか。日々の糧は何より重要だ。
浙江省寧波市に生まれた17歳のチャンは48年に国共内戦を避けて香港に移住する。翌年(中華人民共和国成立)ハーバード大学に入学するが2年生でMITに編入、53年に機械工学の修士号を取得した。55年に入社した半導体会社から58年にテキサス・インスツルメンツ(TI)に転職し、83年に半導体部門の副社長で退社した。64年にはスタンフォード大学で電気工学の博士号を取得していた。
台湾の産業構造はその頃まだ軽工業と加工輸出産業が中心だった。こうした産業の発展が停滞する中、政府は次世代の産業開発の機会を積極的に模索した。行政院長官の蒋経国は、孫運璿経済部長や後に台湾半導体産業の父と呼ばれる潘文淵らと協議し、半導体産業の発展を積極的に推進することを決定した。
1912年に江蘇省に生まれ、チャンに先立ちスタンフォード大学で博士号を得て米国RCAに勤務していた潘文淵は74年、台湾の招きに応じて来台した。彼は先ず海外の著名な半導体専門家を台湾に招聘して「電子技術諮問委員会」を設立し、台湾当局が提唱した「半導体産業発展プロジェクト」の立ち上げも支援した。このプロジェクトは、台湾の半導体人材を育成し、台湾半導体産業の発展の基礎を築く上で、重要な契機となった。
これらを土台として、例えば台湾工業技術研究院(ITRI)は77年10月に最初の7.5μウエハーの実証工場を設立、設備改善に力を注いで、生産効率を大幅に向上させた。これらの先駆者の努力が、台湾半導体産業の人材力の発展にとって格好の基盤になったのだが、その中の一人にチャンがいた。
チャンも台湾当局の招きで84年に来台、ITRI院長に就任した。自らは起業するつもりがなかったチャンだが、ITRIに対する政府の期待に応えるべく起業を決意、独自のビジネスモデルを設計した。そして新竹サイエンスパークには、IBM、HP、Intelなどの多国籍企業での勤務経験を持ち半導体産業の経験を積んだ、潘が招聘した起業家たちが集まっていた。
政府はチャン院長の提案したビジネスモデルを受け入れて、ウエハー生産機能を持つ半導体会社を設立することとした。斯くて87年、行政院開発基金48.3%、フィリップス27.5%の出資でTSMCが設立された。残りの24.2%は新竹サイエンスパークの起業家たちが設立していた8社が出資し、チャンが董事長(会長)に就任した。
台湾には優秀な人材、良好な勤務態度、高歩留などの利点があると信じていたチャンのビジネスモデルとは、当時世界で例のないファウンドリに特化することだった。これがファウンドリのTSMC、そして組立・テスティングのASE(日月光半導体)というユニコーン企業を生んだ台湾の「水平分業」だった。このチャンの発想がインテルやTIやNECなど自社で全ての工程を賄う「垂直統合」モデルの隙を見事に突いた。
TSMCが先駆的なことの一つに、新しいプロセスを開発する際、製造スタッフを開発に参画させ、量産で発生する可能性のある問題を事前に解決しておく手法がある。彼らは生産ラインに導入時にはそこに戻り、開発に係ったプロセス技術が確実に実施されることを確保する。こうしたサイクルを繰り返しながら次世代技術への移行を進展させることや積極果敢な大規模投資などにより、TSMCという唯一無二の存在が築かれた。
最後に麻生発言について一言。台湾の友人の話では、あの発言には賛否両論あるそうだ(ペロシ訪台でもそうだった。余計なことをしてくれるな、という訳か)。が、人望厚いチャンの「ニューヨークタイムズ」への発言内容は、5ヵ月後に迫った総統選挙の帰趨に少なからぬ影響を与え得る。習近平はさぞかし臍をかんでいることだろう。
提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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