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なんとも複雑な2代目ホンダ シティの思い出
初代を全否定したクラウチング・スタイルの大失敗作
なんとも複雑な2代目ホンダ シティの思い出
ホンダの「シティ」といえば、元祖トールボーイスタイルと優雅なカブリオレ、とんでもないジャジャ馬なターボと個性的だった初代が一番の有名どころで、もうちょっと詳しい人なら3代目以降はアジアカーとして新興国向け小型車需要を賄ったのも知ってると思います。
問題は間に挟まった2代目で、「初代を全否定した挙げ句の不人気車」と思う人もいれば、ジムカーナ競技などモータースポーツ経験者にとっては、懐かしいと喜ぶ人もいれば、ヒドイ下剋上をやられた思い出から、苦虫を噛み潰したように顔をしかめる人もいるのでは…?
今回はMOBYが試行中のAIが回答した「30〜50代のクルマ好き男性が興味あるクルマ」の1台、2代目GA1 / GA2型シティの「二面性」について思い返してみます。
初代を全否定したクラウチング・スタイルの大失敗作
トンガったようなクサビ型「ウェッジシェイプ」、ツルンとした「フラッシュサーフェス」など、背が低くていかにも空気抵抗が少ないデザインが流行り始めた1980年代はじめ、背の高い初代「シティ」はそれだけで異質な存在でした。
しかし、優れた実用性や十分な動力性能をかさ上げしてあまりあるターボ、もはやジャジャ馬でしかなかったターボII”ブルドッグ”の追加、ピニンファリーナがデザインした幌つきでパステルカラーも華やかなカブリオレの設定など華があり、よく売れたものです。
ですから、1986年にモデルチェンジした2代目シティが、押しつぶしたかのように平べったく、ファニールックだった先代の名残が一切感じられない角ばったフロントマスクなど、初代の全否定デザインで登場した時は驚きました。
当時は既に初代トゥデイや3代目シビック(ワンダーシビック)が出た後ですから、それらとデザインの統一感を求めたような気もしますし、本来は北米向け低価格・低燃費車として企画されたため、小型軽量・空気抵抗低減を追求したのだ、と言われれば一応は納得。
しかし2代目シティの北米販売は頓挫、ほとんど国内向けになってしまうと、「こんな軽自動車みたいに狭く、可愛くもないクルマ、何に使うの?」となるわけです。
特に初代シティのコンセプトに共感したユーザーは一斉にソッポを向いたらしく、1995年まで販売していたのも、売れ行きが悪すぎて開発費の償却ができなかったからでは…と思いたくなるほどの不人気車、大失敗作でした。
もっとも、ルーフを高くした後継車ロゴもデザイン凡庸、安普請、回しても走らないハーフスロットル高性能という(当時としては)意味不明なコンセプトでコケてしまい、初代フィットまでホンダのコンパクトカーは暗黒時代が続いたのですが。