“世界最古のツイート”は2006年3月21日(日本時間2006年3月22日)にTwitter社の創業メンバーの1人であるジャック・ドーシーさんが投稿した「just setting up my twttr」ですが、“現存する日本語最古のツイート”は誰の投稿なのでしょうか。
先日Xにて“日本語で書かれた最も古いツイート”とされる投稿が話題になっていたので、投稿者に取材を申し込み、くわしい話を聞いてみました。
■ “現存する日本語最古のツイート”とされるのはどんな投稿?
現在のXがTwitterとしてサービス開始したのは、「世界最古のツイート」がポストされた日と同じ2006年3月21日(現地時間)。
そして“現存する日本語最古のツイート”と言われているのは、2006年10月27日(日本時間)に投稿された「レイソルは絶対にJ1に昇格する!」というもの。
ちなみに、ジャック・ドーシーさんの世界最古のポストのURLに記されたポストID(ツイートID)は「20」、現存する日本語最古のものは「49525」です。
▼世界最古のツイート
twitter.com/jack/status/20▼現存する日本語最古とされるツイート
twitter.com/nino/status/49525
※埋め込み表示にならないよう、頭文字のhは意図的に削除しています。
この“現存する日本語最古”とされるツイートの投稿者は、Xに変わった今もなおサービスを利用し続けているIsao Ninomiyaさん(以下、Isaoさん)。プロフィール画面に表示されている「2006年8月からTwitterを利用しています」という一文は、筆者のものと年月以外は同じであるはずなのに、漂う風格がまるで違います。
古くからTwitterアカウントを持っている著名人としてはジャーナリストの津田大介さんや美容家のIKKOさん(旧アカウント)、音楽家の広瀬香美さんが知られています。
上記3人の中で最も利用歴の長い津田さんでも開始日は2007年4月。Isaoさんは津田さんよりも半年ほど早く始めているのです。
普段は情報収集のためにXを活用しているというIsaoさん。起きているときは1時間に1回はアカウントにアクセスしているようです。
Twitter時代の投稿に関しては「プライベートなことも記録する目的で気軽にツイートしてました」と話し、かつて流行った“〜なう”に代表されるような「いつ、どこで、何をして、何を考えたのか」という自分の記録を、何でも投稿していたとのこと。
“現存する日本語最古のツイート”として注目を集めた投稿も「ツイート内容そのままの思いを表現したかったのではないかと思います」と振り返ってくれました。
今回注目を集めたことについては「時々話題になっているようですが、これまでで一番反響があるようですね」と落ち着いた様子で受け止めているIsaoさん。
しかし何人かのユーザーから届いた「生まれる前のツイートだ」というリプライには衝撃を受けたそう。「自分は“シーラカンス”だなとおかしく思ってます」と、自らを“生きた化石”にたとえていました。
■ 日本語版さえない2006年当時のTwitter、始めようと思ったきっかけは?
Isaoさんが利用開始した2006年当時のTwitterは、おなじみの「#(ハッシュタグ)」機能がなく、日本語版さえない世界(日本語版は2008年4月23日リリース)。当時の多くの日本人は存在すら知らなかったに違いありません。
そんな荒野も荒野なTwitterをどのように知って、どうして始めるに至ったのでしょう。
「当時の仕事柄インターネット関係の動向はウォッチしてて、Twitter共同創業者であるエヴァン・ウィリアムズのブログも確認してたのですが、ある日Twitterがオープンしたというような彼の記事を読みすぐに登録しました」(Isaoさん)
今でこそ大抵の情報はXのタイムラインを1日中眺めていればつかめますが、当時は自主的にさまざまなサイトやページを渡り歩かなければならなかったはず。Isaoさんがいかにインターネットのトレンドに敏感だったかが分かります。
しかし登録したはいいものの、当初はTwitterというサービスがよく分かっていなかったそう。「何ができるのか、何をするものなのか」といったことが不明だったため、最初のツイートをしたのは登録から1か月以上経ってからになったとのことです。
およそ18年にわたってサービスを利用し続けているIsaoさんに、最も印象に残っている変化などをうかがってみると「ガラケーのWEBからツイートしてたのが今やスマホの専用アプリというのは大きな発展を促したんじゃないでしょうか」と最古参級の方ならではのエピソードが飛び出しました。
ガラケー時代のTwitterについて、Isaoさんが最も印象深かったと話すのは東日本大震災発生時のエピソード。
「3.11の時、発生後27キロ歩いて帰宅したのですが、その間ガラケーからツイートしました」
想像するだけで膝が悲鳴を上げそうな長距離移動のさなか、オフィスに残っている同僚の方から届くリプライが励ましになったと話します。
ただ東日本大震災発生当時は冬の冷たさも残る3月初旬だったため「手が寒いしガラケーで使いにくくてしんどかった」とのこと。
現在のタップするだけの仕様でも手がかじかんでいるときは大変なのに、物理ボタンの押し込みまでしなければならないというのは、かなり労力を使いそうです。