裏金議員への更なる懲罰(返納など)や公認問題などが取りざたされているが、それに留まってしまい、採用や任用、評価や組織改編など、本格的な自民党改革・政党や政治の仕組みの改革に話が進まなくなることを危惧している。
確かに、老若男女、百花繚乱で候補者が乱立することは、自民党の活性化に繋がっている。総裁選が盛り上がり、政治への注目が増すことも良い事である。その影響か、刺激を受けた立憲民主党側でも、総裁選に向け、候補者が乱立する流れとなっている(国会議員が自民党に比べて格段に少ないという分母の割に推薦人の数の縛りが厳しいので、実際にはさほど乱立出来ないとは思うが)。
そうした意味では、多数の候補者が「我も我も」と出てくることは、非常に良い面もあるのだが、私が懸念しているのは、そうした総裁選(選挙)の「功」の部分ばかりが注目されていて、「罪」の部分に多くの人の意識が向かっていないことだ。
先述したとおりであるが、選挙というものは組織の分断を大きく進めてしまう面がある。本当は政治にとっては、「選挙まで」よりも、選挙後にどのように組織を運営するかが最も大事なわけであるが、最近は、SNSの発達なども相まって、今まで以上に政治の「選挙まで」「PR合戦」というところが注目されてしまっている。
選挙までが全てとなると、PRのために、相手への誹謗中傷・論難がより盛んになってしまう。不都合な真実であるが、人間は、「私はこう考えるんです」という主義主張より、「あいつは怪しからん」とか「あいつのこういうところがダメなんです」という悪口合戦に耳を傾けてしまう。言わんや、お金や異性問題などのスキャンダルは最高の餌食だ。
行きつくところまで行ってしまったのがアメリカの民主主義で、大統領選などを見ていると、聞くに堪えない誹謗中傷合戦をトランプ・ハリス両陣営が繰り広げている。これで、「選挙後はノーサイドだ」、「私は民主党だけでなく(共和党だけでなく)皆の大統領だ」、となるわけがない。