中国がより一層、不人気な国になりつつあります。政治的にも経済的にも主要国との関係が離反しており、西側諸国は時間をかけながらその影響からうまく逃れつつある、そんな様子がうかがえます。第3期目に入った習近平国家体制は明らかに見劣りします。声も聞こえず、国内はもがく、そんな様子を感じます。最近の中国をもう一度、見ていきましょう。
まずは経済。アメリカの1-6月の国別輸入額に関して今までトップだった中国は一気に3位に陥落、メキシコとカナダに抜かれる見込みです。1-5月の輸入金額がメキシコが1950億㌦、カナダが1760億㌦に対して中国は1690億㌦でした。但し、以前にも指摘したようにこれは中国がアメリカに輸出したくても規制で輸出できないこともあり、東南アジア諸国経由での実質中国製品のアメリカ流入は続いています。
中国も一定の対策を施し、国内輸出ビジネスの影響は軽微にとどまっているせいか、困ったそぶりは見せていないので東南アジア諸国をつなぎ役としてとアメリカと中国の貿易関係がより強化されるとみています。
ふと目に留まったのが産経の記事で「ドイツが中国戦略を発表 中国市場依存を牽制」とあります。ベーアボック外相がメルケル前政権との違いを打ち出し、「ドイツは変わった。中国政策も変わった」とし、技術移転の危険性を鑑み、産業界とリスク回避の検討を進めていくと述べています。また、6月14日に公表したドイツの国家安全保障戦略には「中国は政治目標達成のため経済力を利用している」「中国はルールに基づく国際秩序を様々なやり方で変えようと企てている」(日経ビジネス)と明白な姿勢を示しています。
近代ビジネスの観点では中国市場は2001年12月のWHO加盟が転機だったと判断しています。ここから破竹の勢いが始まり、08年の北京五輪、10年の上海五輪あたりから中国が西側諸国を意識するようになりました。つまり怒涛の輸出増大と共に国民生活に西側のファッション、生活様式、経済感覚などが一気に入り込み、この12年一回りの間に表面的にはあか抜けた感じがします。
人々が人民服を脱いだのは80年代初頭だったと思いますが、私が初めて上海に行った88年頃はまだ人民服に自転車通勤の世界でした。朝、ホテルの窓から見るその光景に異国というよりむしろ、時代の違いを感じたものです。人々の外観と意識は進化したのですが、国家は国民に自由の制限を設けました。
6-7年前から始まった中国の外貨流出防止策で中国人や中国民間企業による海外不動産の買い漁りが困難になりました。買い手はルールをいろいろかいくぐり「鼬ごっこ」を繰り返していましたが、ここにきて北米での本土中国人による不動産の購入意欲は落ち着いています。他方、日本における中国人による不動産需要はまだ相当根強いし、今後も継続するでしょう。彼らもいざという時のバックアッププランを練っていると思えるからです。つまり政権と自身の保身が違う動きをするのです。