「刑務死」した戦犯の靖国合祀は、56年4月に厚生省引揚援護局が各都道府県に対し、救護法に拠り遺族年金を受けている者の申し出を要請することから始まった。援護局はこの名簿に基づき、祭神として有資格者を靖国神社に通知した。神社側はこれを基に霊璽簿を作成し、59年の春季合祀祭にBC級戦犯が合祀された。
だが、A戦犯合祀は20年後の78年10月まで待たねばならなかった。66年にはA級戦犯の祭神名簿が援護局から靖国神社に送られ、1969年1月にはA級戦犯の合祀と外部発表は行わないことが政府と靖国神社とで合意されていた。が、実際に合祀に至るまでには更に10年を要した。
上坂はその理由として、政治家の不勉強を挙げ、前述した「靖国神社法案」の紛糾によって神社側が合祀を差し控えたのだろうと述べ、BC級と同時に合祀されたかったことを嘆じている。同感である。
首相の靖国参拝についても、2014年12月に提出された「内閣総理大臣が行う靖国神社参拝に関する質問主意書」に対し、政府の答弁書が出されているのでここでは触れない。
筆者の考えを述べるなら、サ条約第二十五条に基けば、これを批准していない中国(東京裁判当時には国すらなかった)や韓国(日本と戦争をしていない)にこれを云々する権限はないのだから、首相や閣僚は九段下を車で通る度に、昇殿参拝でなくとも社殿の前で拝礼をすれば良いのである。
なお、分祀についても神道では、神霊は無限に分けることができ、分霊(分祀)しても元の神霊に影響はなく、分霊も本社の神霊と同じ働きをするとされるから、無意味と考えている。